フィリップ・K・ディック『ペイチェック』ハヤカワ文庫 2004年

 12編を収録。これまで,別の短編集に収録されていた作品を,表題作の映画化に際して,再編集したもののようです。“Classic Stories”とありますが,けっして「古典的」とは言えない予見性に満ちている点,この作者の才能のすごさが,あらためて感じられます。
 気に入った作品についてコメントします。

「ペイチェック」
 2年間の記憶と引き替えに,高額の報酬を得るはずだった仕事。しかし受け取ったのはガラクタだった…
 2年間の記憶喪失,大金が「自分の意志」でガラクタに変えられる,そして公安警察による逮捕と逃走劇…ミステリアスでスピーディな中盤までの展開が楽しめます。ラストは,この作者らしい「社会構図」といった感じですが,もう少し,具体的な描写がほしかったところです。長編向きの素材かもしれません。
「ナニー」
 子育てロボット“ナニー”…しかしそれにはもうひとうの機能が…
 激烈な企業間競争(闘争?)をカリカチュアした作品。そこに素材として,子どもの養育用ロボット“ナニー”を設定したことにより,よりグロテスクな雰囲気を盛り上げています。
「たそがれの朝食」
 この作者の短編集『地図にない町』「薄命の朝食」というタイトルで収録(ただしこちらは新訳)。感想文はそちらに。
「小さな町」
 うだつの上がらない男の唯一の慰めは,自分の作ったミニチュアの町だった…
 主人公が費やした,人並みはずれた労力と時間…だからこそ,それを彼特有の「狂気」として「向こう側」に追いやることが可能です。しかし,ディスプレイ上でより容易になった現代,彼の「狂気」は,ずっと身近なものになっているのかもしれません。
「傍観者」
 ひとつの法案をめぐって,国論は二分され,流血騒ぎが続発した…
 すぐれたSFは,すぐれた文明批評でありますが,同時におそるべき「予言」でもあるのかもしれません。「傍観」や「多様性」,ありうべき「第3の道」を否定する二者択一の強制,「心のケア」と称する社会的順応への促し,ヒステリックな「清潔シンドローム」…よりオブラートに包まれた形で,現在,進行している事態と言えるのではないでしょうか。
「パーキー・パットの日々」
 核戦争で生き残った人々は,「パーキー・パット」と呼ばれる人形ゲームに熱を上げていた…
 SFというより寓話に近いテイストを持った作品(いや,すべてのSFが寓話か?<暴言)。荒廃した地球で野生生物を狩って,たくましく生きる子どもたちの目に,ゲームのキャラクタが,未婚か既婚かに,なにか意味ありげな「人生」を見出そうとしている大人たちは,どのように映るのでしょうか。
「時間飛行士へのささやかな贈物」
 帰還の際に死亡したはずの時間飛行士は,「時間の輪」に閉じこめられたのか?
 たしかに,物語の中心にあるのは「時間飛行士」や「閉じられた時間の輪」といったSF的発想にあるのでしょうが,描き出されているのは,渦中にある当事者を無視して進行する非情な政治的力学であり,あるいは,その力学によって演出されたページェントに「安全な場所」から感傷を送る,無責任な大衆の姿なのかもしれません。彼らが「閉じられた時間」の中にいること,それを示すことは,そういったものに対する告発なのかもしれません。
「まだ人間じゃない」
 その社会では,生後12歳までの子どもは,魂のない未人間として扱われた…
 極端な事例の中に,しばしば「普通」の状態の核心部分が露わにされるときがあります(たとえばフロイドが精神分析に用いた手法のように)。SFもまた,グロテスク化された社会を描きながら,わたしたちの社会が抱えている病理を,鮮やかに切り取ってみせるところに魅力があるのかもしれません。経済や政治の分野に宗教や科学が「お墨付き」を与えたときのおぞましさを,今,わたしたちは某国大統領のそれに見ることができます。

05/10/23読了

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