フィリップ・K・ディック『地図にない町』ハヤカワ文庫 1976年

 1945年,極東の小島で炸裂したふたつの“光”は,その後の世界を呪縛しました。そして米ソを軸とした東西冷戦構造,その代理戦争とでも言うべき1950年に始まった朝鮮戦争。世界が核戦争の予感に覆われた1950年代,SF作家たちもペシミスティックな未来を語り始めます。そんな「悪夢としての未来」を描く作家のひとりに“鬼才”ディックがいます。本書は,ディックの初期短編12本をおさめた作品集です。「十分楽しめた」と自信を持って言えないのは,訳がちょっといただけないせいでしょう。
 いくつかの作品についてコメントします。

「薄命の朝食」
 霧で覆われたある朝,兵士たちはやってきた…
 主人公たちは,ある日とつぜん,第三次世界大戦の最中にタイプスリップします。困惑し,慨嘆し,恐怖しますが,ふたたび“現在”に戻ることができます。しかし彼らの戻った“現在”は,「戦前」なのです。数年して戦争が始まることがわかっている“現在”。主人公の最後のセリフ「もっとよく眼を開いておけばよかったんだ。こんなに手遅れにならないうちにね」は,時を超えて,いまでも十分通じる言葉なのでしょう。
「輪廻の豚」
 宇宙船に運び込まれた,豚に似た動物“ワブ”。それは知性と不思議な力を持っていた…
 ディックのデビュー作だそうです。あらゆる大作家も,デビュー作を持つ,というあたりまえのことをしみじみと感じました。ラストのオチでニヤリとさせられます。
「名曲永久保存法」
 ラビリンス博士は,名曲を動物の形に変えて保存する機械を発明し…
 なんとも破天荒でいて,もの悲しく,そしてラストが不気味な作品です。「モーツァルト鳥」「ベートーベン・カブト虫」には笑ってしまいました。たしかにベートーベンの苦虫を噛みつぶしたような顔って,カブト虫を彷彿させますね。ちなみにラビリンス博士は,この作品集で「万物賦活法」にも出てくるマッド・サイエンティスト(なんと,懐かしい響き!)です。
「クッキーばあさん」
 ビュバーはおばあさんところで食べるクッキーが大好き。でも,なぜかその後はいつも疲れてしまい…
 よく老人が「若い人と一緒にいると若返るような気がする」というようなことを言いますが,それをホラーに仕上げた作品。“意図せざる吸血鬼”とでも言いましょうか? 残酷とも言えるラストがいいです。本作品集で一番楽しめました。
「地図にない町」
 男が駅で買おうとした切符の行き先は地図になかった。そして男も忽然と消え…
 「振り出しに戻る」的ラストの作品はけっこう好きです。最後で一件落着のように見えますが,2度あることは3度あると言いますから…。それから「わたしたちも知らず知らずのうちにじつは…」と思わせるところがいいですね。「過去による現在への浸食」という発想も楽しめました。

98/01/17読了

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