池波正太郎『鬼平犯科帳(二)』文春文庫 1975年

 とういわけで,1巻に続いて,さっそく2巻を読んでいる,池波作品若葉マークのyoshirです(笑)。
 前巻の感想で,「上質なクライム・ノベルみたい」というようなことを書きましたが,この作品,主人公はもちろん平蔵なのですが,その敵役のさまざまな盗賊たちについても,丁寧に描写していますね。たとえば本巻で一番楽しめた「谷中・いろは茶屋」
 このエピソードでは,新キャラクタ,火付盗賊改方の若き同心・木村忠吾が出てきます。彼は,茶屋の娼婦お松に入れあげて,もう鼻血も出ないほど金を使い切ってしまうのですが,そこへ「川越の旦那」なる人物が10両もの大金を「お前の好きな男のためにお使い」とお松に渡します。で,「これでしばらくお松に会える」と喜ぶ忠吾なのですが,この「川越の旦那」,じつは大泥棒「墓火の秀五郎」。その秀五郎,お松にこんなことを言います。
「人間という生きものは,悪いことをしながら善いこともするし,人にきらわれることをしながら,いつもいつも人に好かれたいとおもっている・・・・。」
 で,なんやかやあって,墓火の秀五郎は,忠吾の「スケベ心」のおかげで,めでたくお縄につくのですが,「川越の旦那」が秀五郎であることは,結局,忠吾にも平蔵にもわからない。ところが平蔵,物語の終わりで,忠吾にこう言います。
「人間というやつ,遊びながらはたらく生きものさ。善事をおこないつつ,知らぬうちに悪事をやってのける。悪事をはたらきつつ,知らず識らず善事をたのしむ。これが人間だわさ」
 ここで,秀五郎の言葉と平蔵の言葉はシンクロします。平蔵と秀五郎,火付盗賊改方頭領と大泥棒,敵対する両者の人間観の一致。こういったエピソードを読むと,この作品に出てくる盗賊たちが,けっして「単なる平蔵の敵役」という役割だけでなく,一個の独立したキャラクタ,人間として描かれているように思います。だからこそ作品に深い奥行きができるのでしょう。

 ところでこの作品集,1編が文庫版でだいたい30〜40ページなのですが,「蛇の眼」「妖盗葵小僧」の2編のみ,60ページ前後のヴォリュームを持っています。「蛇」の方は,前巻の「暗剣白梅香」「むかしの女」で,平蔵暗殺を企てた「蛇(くちなわ)の平十郎」に絡むエピソード,「妖盗」の方は,1年間の長きに渡って盗みを繰り返し,平蔵を歯噛みさせた「葵小僧」のエピソードです。どちらも平蔵にとっては「宿敵」のような連中で,なかなか存在感のある悪党です。とくに「葵小僧」は,押し入った先で奥方や娘を犯すという異常性欲者で,その芝居がかった言葉遣いも合わせて,じつに不気味なキャラクタです。こういった憎々しいキャラクタが出てくると,結末でのカタルシスもひとしおですね(笑)。

 それにしてもこの作品,そば屋で酒を飲む,というシーンが多いですね。昼間からそば屋で酒を飲んでいると,行商の声がのんびりと聞こえてくる,う〜む,じつにいいですねぇ・・・。

98/06/14読了

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