井上雅彦監修『オバケヤシキ 異形コレクションXXXIII』光文社文庫 2005年

 「さあ行くよ。新しいお化け屋敷を作りに」(本書「轆轤首の子供」より)

 「異形コレクション」の第33集。「編集序文」によれば,ここでいう「オバケヤシキ」とは,アミューズメント・パークとしてのそれと,「呪われた家」「憑かれた家」,つまり「幽霊屋敷」としてのそれの両者を意味するとのことです。
 19編を収録,気に入った作品についてコメントします。

西崎憲「週末の諸問題」
 閉鎖されたお化け屋敷に,赤ん坊が捨てられ…
 ミステリやホラーは,わりと節操なく読みますが,赤ん坊や子どもが犠牲になる作品は,どうしても好きになれません。本編もそんな風に展開して,いやぁな感じだったのですが…
加門七海「美しい家」
 ビルの間に残る廃屋めいた一軒家に,若い友人が移り住んで…
 この作品の中心となっている発想が,どこか「すとん」と理解できてしまうのは,やはり日本人的な感性なのでしょうか。いわゆる「付喪神」の系譜を引くような作品です。
南條竹則「ゴルフ場にて」
 旧友が管理するゴルフ場を訪れた“わたし”は…
 ゴルフ好きの方には申し訳ないのですが,わたしは,日本のゴルフ場,いや厳密に言えばゴルフ場開発に,つねに「うさんくさい」ものを感じざるを得ません。バブル期の乱開発,「リゾート法」なる無見識の法律,作中でも触れられている農薬の問題などなど…本編もまた,そんな「うさんくささ」が背景として活かされているように思います。
三津田信三「見下ろす家」
 “ぼく”は,その崖の上に立つ家にいつも見下ろされているような感じが拭いきれず…
 「家に見下ろされている」という着想がおもしろいです。作者の「実体験」というエッセイ風の体裁,それゆえの曖昧さが,その着想と響きあって,奇妙な手触りを産み出しています。
樋口明雄「マヨヒガ」
 山中で迷った男が,霧の向こうに見た屋敷とは…
 『遠野物語』に出てくる「マヨヒガ」をモチーフとしながら,もうひとつ,有名な怪談あるいは伝説(ネタばれ反転>「雪女」「鶴女房」)を加味しています。雰囲気的には好きなのですが,「赤と黒の椀」の意味づけを,もう少し明確にしてほしかった。
安土萌「世界のどこかで」
 幽霊屋敷の写真を見ていると,“あの人”から電話が…
 「幽霊屋敷」と「写真怪談」とをミックスさせたような,ありがちな展開かとも思われたのですが,最後の一文―「こちら」と「あちら」が鮮やかに反転するラストがじつにいいです。この作者のショートショートはやはり巧い。
北原尚彦「屍衣館怪異譚」
 「霊が見える」体質の“あたし”が,引き取られた屋敷で見たものとは…
 本編における最初の「仕掛け」は,すぐにでも見当つくのですが,その「仕掛け」が,もうひとつ,最後で明かされる「仕掛け」を巧妙に隠蔽しています。
大槻ケンヂ「ロコ,思うままに」
 お化け屋敷に住む少年ロコは,少女リサに出会ったことから…
 この作者の作品に,いつも「寓話」的なテイストを読み取ってしまうのは,わたしが,すでに彼の描く登場人物たちの「生」を,過去のものとして見ているからなのかもしれません。同様に,作者の視点も同様なのではないかと思います。
朝松健「邪曲(よこしま)回廊」
 一休が見た,子どもの頃に経験した“悪夢”とは…
 「一休シリーズ」の1編。その「異能」によって怪異を断ち切っていく一休ではなく,まだ幼少の無力な頃の彼を描いている点,やや異色の作品となっています。一休の「根源」とも密接に結びつく本エピソードは,シリーズにおいて重要な位置を占めるかと思います。
丸川雄一「轆轤首の子供」
 お化け屋敷に捨てられた子どもの正体は…
 公募作品とのこと。ちょっと奇妙な「ほのぼの怪談(?)」的にはじまった物語は,途中から『デビルマン』風に展開していき,驚かされます。「出口のないお化け屋敷」は,比較的よく見られるモチーフですが,世界全体がそれとなったときの不気味さ,怖さを,淡々とした文体で描いています。

05/10/16読了

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