出久根達郎『むほん物語』中公文庫 1998年

 「貧乏人ほど本を好むのは,この世の七不思議である」(本書より)

 『古書組合八十年史』のために集められた資料の中の1冊『笈の角文』。幕末江戸の貸本屋の日記というこの本は,本物なのか偽物なのか・・・。その真偽を確かめるために調査を始めた古本屋二代目たちの前に,つぎつぎと現れる謎の数々。『笈の角文』に隠された秘密とは・・・。

 この作者は,文体や「語り口」にかなりこだわっておられるようで,この作者の短編集『踊るひと』は,各短編が異なる「語り口」で描かれる不思議な手触りを持った作品集でした。本書も,『笈の角文』をめぐる,5章よりなる長編ではありますが,それぞれに異なった「語り口」で書かれています。
 冒頭の「そもそも奇妙頂礼」と,最後の「終わるよければすべて由無し」は,古本屋二代目たちの行動を,主人公の視点で追うオーソドックスな書き方なのですが,視点である主人公の主語,つまり「わたし」「ぼく」「おれ」などなどが,(おそらく)いっさい出てきません(「小生」というところが1ヶ所,また「われわれ」というのが数ヶ所ありますが)。このような「語り口」は,普通の小説よりもむしろ落語に近いように思います。
 また「犬の鼻 猫の耳―天保八年貸本屋日記」は,副題にあるように,この物語のメインの謎『笈の角文』の一部,という体裁の章ですが,現代語訳されているとはいえ,やはり独特のテンポとリズム,言い回しにあふれています。さらに「傷に囲まれて」は,(おそらく主人公らによる)老人へのインタビュウという体裁,「さんげさんげ」も,老人が過去を語った録音テープ,という体裁です。とくに後者は,寝たきり老人のほとんど聞き取れない言葉を,唯一聞き取れる馴染みの看護士がテープに吹き込む,というなんとも凝った体裁です。いずれの章も,書き言葉と言うより,文字通り「語り」の雰囲気がよく出ています。

 さて物語は,『笈の角文』は本物か偽物か,という謎に端を発して,大塩平八郎の乱,古書業界最大大手の「尾張屋」をめぐるスキャンダルと古書業界のダークサイド,真作・贋作・まがいものに群がる有象無象の怪しげな商売人たち,2・26事件の裏話・・・と,話はあっち飛びこっち飛びしつつ,どんどんふくらんでいきます。また単にふくらむだけでなく,先に語られたエピソードが,後のエピソードによって,否定され,反転され,真のものが偽に堕ちたかと思うと,偽のものが真へと返り咲く,といった具合に,まさに狸と狐の化かし合いのような感じで,物語は進んでいきます。この物語そのものが,真偽入り乱れる古書業界そのものなのかもしれません。
 そして最後は,つぎのようなセリフが,この騒動を締めくくります。

 「書物を金もうけの具としか見ないから,赤恥をかく仕儀となる。うい」

 やっぱり,本は「読んでなんぼ」ですね(笑)。

98/04/22読了

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