北川歩実『模造人格』幻冬舎文庫 1999年

 5年前に事故のため記憶喪失に陥った“わたし”木野杏奈。ところが,唯一の肉親である母親が謎の失踪を遂げた翌朝,“わたし”の前に現れた男女は,木野杏奈は4年前に死んでいると告げる。それも猟奇殺人者によって殺されたと・・・。ならば“わたし”はいったい何者なのか? “わたし”の記憶は? そして人格は?

 『僕を殺した女』で,アクロバティックなミステリを構築した覆面作家による,ふたたび「記憶」をテーマにした作品です(「ふたたび」というのは,あくまでわたしにとって,であり,作者としてはどうやら3作目のようです)。

 正直言いまして,ラストで明かされる真相については,「こんなこと,あるんやろうか?」とも,またCIA旧KGBといった,「その道」のプロフェッショナルならともかく,「人間の記憶って,そんなに容易に改変されてしまうものなのだろうか?」とも,思えて,どうも「落ち着きの悪さ」を感じてしまったのですが,この作品の場合,むしろ,そのラストに至るまでの,不可解で入り組んだ,ミステリアスな展開の方が楽しめるのではないかと思います。

 物語は,記憶喪失の“わたし”が,じつは4年前に猟奇殺人犯に殺されていた,という魅力的な謎を孕んだオープニングから始まります。ところが,“わたし”の周りに現れた人々―外山仁・大樹親子,森島治郎・政人親子日田昭夫と姪の会田由紀子―の,彼女に対する態度は微妙に異なります。とくに精神分析医の日田は,杏奈とともに,猟奇犯江尻静夫に娘麻夜を殺されたはずなのに,彼女が生きているかのように振る舞う,といった具合で,“わたし”をめぐる状況は,いったい誰が正しくて,誰が間違っているのか? あるいは,誰が正気で,誰が狂っているのか? すべてが曖昧なままに進行していきます。各キャラクタが「腹に一物を持つ」といった描き方も,謎を深める上でいいですね。
 そしてその曖昧さは,謎の核心,“わたし”が殺されたはずになっていたのにじつは生きていた木野杏奈なのか? それとも杏奈のイミテーション,つまり別人なのか? という謎につながり,さらに4年前に起きた連続殺人事件の真相はいかなるものだったのか? という疑問へと発展していきます。
 このように二重三重に謎が積み重なり,錯綜し,混迷し,矛盾しながら展開するストーリィは,じつにサスペンスに満ちていて,物語をぐいぐいと引っぱっていきます。『僕を・・・』が,SF的決着か,ミステリ的決着か,という分水嶺をひた走っていたのとはやや趣を異にしますが,それでも,さまざまな仮説が提起され,ときに反証され却下され,ときに支持されながらも疑問を残し,二転三転しながら真相へと迫っていくプロセスは,相似たものがあるように思います。またところどころに,追いつ追われつのマン・チェイスを挿入するところも,ストーリィ展開を盛り上げる手法として効果的と言えましょう。

 先にも書きましたように,個人的には,真相をめぐって,もう少し「理論武装」してもらいところもありますが,そうすると,この作品の持つ,謎が謎を呼ぶという疾走感を失ってしまう危険性もあるかもしれず,なかなか難しいところだとは思います。いずれにしろ,これからも注目していきたい作家さんのひとりであります。

00/01/02読了

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