フィリップ・K・ディック『マイノリティ・レポート』ハヤカワ文庫 1999年

 表題作が,S・スピルバーグ監督,トム・クルーズ主演で映画化されるということで,出版されたかどうかはわかりませんが,粒よりの作品7編を収録した短編集です。『地図にない町』とは違って,読みやすい訳であることも楽しめた要因のひとつかもしれません(7編中5編が浅倉久志訳です。彼の訳文はわたしにとってはとても読みやすいです)。

「マイノリティ・レポート」
 予知能力者によって犯罪を予知し,犯行を行う前に「犯罪者」を逮捕する未来社会。その「犯罪予防局」の局長アンダートンは,見も知らぬ人物を自分が殺すと予知されていることを知り…
 犯罪を犯していない人物を「犯罪者」として逮捕することの正当性,予知をめぐる確率論的な不安定性などなど,グロテスクに歪んだ「未来社会」を描いている点,鬼気迫るものが感じられます。しかしそれ以上に,なぜ見も知らぬ人物を殺すという予知が出たのか? 背後には自分を追い落とすための陰謀が存在するのではないか? という魅力的な謎が提出され,それが論理的に解決されていることから,SFミステリとしても佳品ではないかと思います。
「ジェイムズ・P・クロウ」
 ロボットによってヒトが支配される社会。きわめて難しい「テスト」をくぐり抜ければヒトも出世できるという。しかし合格したヒトはいない。たったひとり,伝説的な人物,ジェイムズ・P・クロウをのぞいて…
 支配はつねに暴力的で強圧的な形態のみをとるとは限りません。むしろそれは,しばしば「神話」によって正当化され,支配が「自然なこと」「あたりまえのこと」として社会に浸透していきます。曰く「黒人はもともと白人のより劣った人種である」,曰く「女は本来男に比べて社会生活には向かない性質なのだ」といった具合に・・・。「ロボットvs人間」というオーソドックスなネタを,ちょっとひとひねりして描いているように思います。ラストはペシミスティックなのか,それとも・・・
「世界をわが手に」
 宇宙の中で人類は孤立しているのか? 諦念に満ちた人類にとって「世界球」は唯一の憩いであった…
 この作品が書かれたのは1953年。50年近くを経た現在,コンピュータ技術の発達は,さまざまな「ヴァーチャル生物」を生み出しました。それゆえこの作品で描かれる「世界球」の育成と破壊に対するおぞましいまでの熱狂は,けして「SF」ではないように思います。ラストは,まぁ,お約束という感じではありますが…
「水蜘蛛計画」
 宇宙旅行の際に生じる困難な問題。それを解決するために,科学者たちは過去から「予知能力者」を連れてくることにする…
 「20世紀中頃,予知能力者は全盛をきわめた」って,なんのことだろう? と思っていたら・・・その「真相」に思わず爆笑してしまう,遊び心にあふれた一編です。「同人誌的」「楽屋落ち」と言えないこともないですが,ラストはしっかりSFしていて,楽しめました。
「安定社会」
 25世紀,人類は決断した。これ以上の発展は望めない,わたしたちにとって必要なのは,いっさいの変化を排除した「安定」した社会なのだ…
 訳者の「解説」によれば,1947年以前に書かれた,この作者の「事実上の処女作」とのこと。SFが「バラ色の未来」を語らなくなったのは,すでにこの頃から始まっていたのかもしれません(SF史に対する認識が間違っていたら,すみません)。ただSFというより,ファンタジィ(あるいは寓話)に近いようなテイストですが・・・
「火星潜入」
 一触即発なまでに対立を深める火星と地球。地球行き最後の宇宙船に,火星の都市を消滅させた3人のテロリストが登場していることがわかり…
 「マイノリティ・レポート」と同様,冒頭において,「なぜ嘘発見器によってテロリストが判明しなかったのか?」という謎が示されており,この作者にはけっこうミステリ作家的な資質があるのではないかと思わせます。ラストはこれまた「お約束」といったところでしょう。
「追憶売ります」
 どうしても火星に行きたいけれど,それだけの金のないクウェールは,その「記憶」を買おうとするが…
 A・シュワルツネッガー主演の『トータル・リコール』の原作です。映画の方は見てましたが,原作は初読。オープニングはよく似ていても,中身はまったくの別物ですね(笑)。よくもまあ,あそこまで(よくも悪くも)逸脱したものだ・・・^^;; こういった苦笑を誘うようなアイロニカルなオチはわたしの好みです。

98/08/06読了

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