鈴木輝一郎『めんどうみてあげるね 新宿職安前託老所』新潮文庫 1998年

 サブタイトル(単行本ではこちらメインタイトルだったようです)にある「新宿職安前託老所」を舞台にした連作短編集です。
 安い会費で,朝9時から夕方5時まで老人をあずかってくれるが,ひとりで自分の面倒をみられなくなる,つまり「惚ける」と追い出されてしまう。そんな託老所で立て続けに起こる老人の首吊り自殺。いったいその背後にはなにが・・・・,という表題作「めんどうみてあげるね」は,1994年の日本推理作家協会賞短編賞を受賞しています。
 この受賞作は,他のアンソロジィに収録されているのを読んだことがあり,「老い」や「惚け」という重いテーマを,ユーモアの感じられる軽快なタッチで描いた作品として,楽しめました(そのときの感想文はこちら)。
 ただこの作品のエンディングは,独立した短編だからこそ,独特の味わいがあったようなところもあり,同じ設定での連作短編集としてはどうだろうか,という懸念が,読み始めたときにありました。その懸念は,半分あたり,半分はずれ,といったところでしょうか。

 「はずれ」の方としては,独立した短編として楽しめる作品がいくつかあったことです。
 「おねがいしようか」は,定年とともに妻に離婚された息子の願いで,入所した文三とキリコの老夫婦。何度も手を合わせたことあっても,お願いしたことのない“大久保地蔵”に,はじめてお願いしたところ・・・,というお話。
 エンディングが痛々しくて,ちょっと後味が悪かったのですが,しばらくしてから,ふたりの“お願い”は両方とも,かなえられたということに気づきました。つまり,ああいう状態でも「ハセガワシキ」をクリアできたのは,そういうことだったんですね。
 「幸セニシテアゲル」は,表題作と同じく中村きんおばあちゃんが主人公のホラータッチの作品。いつも立ち寄る弁当屋で,イラン人の占い師から声をかけられたきん。彼から見せられた弁当箱からは,入院中の息子夫婦の会話が聞こえてきて・・・。
 落語で,人の寿命をろうそくにたとえる話があったと思いますが,こちらではマッチです。事故で生死の境をさまよう息子が,燃え尽きたマッチで表現されているのが,なんとも哀しいです。またラストの「幸セニ,ナレタカネ」「なれないよ」という占い師ときんとの“会話”や,最後の一文「そのとき,電話が鳴った」も,余韻を残します。「嫌いな人間がそばにいること」と「孤独」では,どっちが「不幸せ」なのでしょうか?

 懸念の「あたり」の方は,ラストの2編「役にたてるかい?」「ひとりでできるもん」の,連作の幕の引き方です。
 続発する老人の首吊り自殺に不審に思ったジャーナリストが,自分の母親を託老所に入所させます。ところが母親に惚けの兆候が見え始め,そして・・・・。
 う〜む,こういった,安易に“解決”の見いだせないテーマですから,仕方ない部分もあるんでしょうがねぇ。これまで主人公であった老人たちと離れたところで物語が終わってしまうというのはちょっと残念ですね。たしかに託老所の管理人・武田せい子の言葉,
「考えなきゃならないのは,あんたたちなんだ!」
は,“物語”を,老人たちを取り巻く人々,つまり読者に投げかけるという点では,効果的なエンディングではあるんですが,それまでほとんど出てこなかったが武田せい子が突如出てきて,代表するような感じで言うのは,唐突な感じが否めませんね。
 それと,この物語の主人公のひとり・さやかについても,もう少し描写してほしかったですね。

98/02/04読了

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