ジューン・トムスン『シャーロック・ホームズのクロニクル』創元推理文庫 1993年

 「事実だよ,ワトスン。ほかに何を土台にしたら調査が成功するというんだ?」(本書「ハマースミスの怪人」より)

 『シャーロック・ホームズの秘密ファイル』に続く贋作ホームズ譚のシリーズ第2集,7編と「文書」の保管者であるジョン・F・ワトスンによる(つまりは作者による)研究論文「付録」を収録しています。
 設定は『秘密ファイル』と同じ,つまり「この文書が本物であると主張しているわけではないことを,ひと言お断りしておきたい」です(笑)
 解説は,有栖川有栖,前作の法月綸太郎に続いて新本格系の作家さんをあてているところに,出版社のこのシリーズに対する「見方」が現れているように思います。
 なお文庫カヴァでは「ホームズのクロニクル」となっていますが,正式の邦題は上記のもののようです。

「パラドールの部屋」
 死んだはずの若公爵が生きている? その背後に隠された秘密とは…
 作者が女性のせいでしょうか,時代性のゆえでしょうか,ホームズの女性に対する接し方が,マイルドのような感じがします。ところで,わたしたち日本人にとってはわからなくても,イギリスで,ちょっと歴史に詳しい人だったら,タイトルでわかってしまうのではないでしょうか? 
「ハマースミスの怪人」
 劇場の楽屋で,人気の歌姫が絞殺された…
 未確認ですが,たしか正典で,ホームズがワトスンを「ロマンチスト」と評していた場面があったかと思います。そんなワトスンのキャラクタを上手に描いた作品です。素材は密室状況下での犯人消失。ホームズの観察眼から導き出される推理プロセスが楽しめます。
「メイプルスレッドのマグパイ」
 美術品窃盗犯を裏で操った“マグパイ”を追いつめるべくホームズは…
 『秘密ファイル』の「流れ者の夜盗」の続編です。シャーロキアンの作者としては,やはり「あのまま」で済ますのは,忸怩たるものがあったのかもしれませんね。哀愁を誘う犯人の造形がグッドです。
「ハーレー街の医師」
 不審な患者を往診した医師は,ホームズに調査を依頼する…
 正典でもホームズはしばしば変装しますが,ワトスンの「服装の変化で人間の見かけの社会的地位がどれほど変わるかは,驚くばかりである」というセリフは,その変装の「成功」が,イギリスが階級社会であることと密接に結びついていることを示しているように思います。
「ロシアの老婦人」
 英国に亡命したロシアの老婦人が絞殺された。その背後には政治的理由が…
 ロシア・スパイの暗躍を描いた冒険活劇調の1編です。ホームズの「変装観」なるものが開陳されています。で,彼が「犯人」の変装を見破るシーン,同じような着眼を別の作品でも読んだことあるような気もするのですが,本当だとしたら,なかなか興味深いですね。
「キャンバウェルの毒殺事件」
 伯父毒殺の嫌疑を受けた若者が,ホームズの元に飛び込んできた…
 上にも書きましたように,本シリーズの特色のひとつは,正典にはない,ホームズの女性への言及の多さ(それも現代的な視点が加味された)にあるのでしょう。つまりホームズ譚の「文法」を(シャーロキアンらしく)踏襲しながらも,現代ミステリ作家としての作者の「顔」とも呼べるべき側面だと思います。
「スマトラの大鼠」
 50万ポンドを支払わねば,巨大鼠の群をロンドンに放つという脅迫状が英国政府に送りつけられ…
 今だったら「バイオ・テロ」と言えそうな事件を描いている点,やはり現代的な作品と言えましょう(ダーウィンメンデルに触れるあたりも)。それともうひとつ気づいたのは,本シリーズでは,記述者であるワトスン博士の役回りが,正典よりも強調されているように思います。今回も,調査に行き詰まったホームズを解決へと導く意見を述べています。世に言う「ワトスン役」なる情けない立場とは,ちょっと違うような…

05/07/10読了

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