ジューン・トムスン『シャーロック・ホームズの秘密ファイル』創元推理文庫 1991年

 「あるものの物理的存在を確信するのに,必ずしもその物体が目に見えていなければならないわけではないさ」(本書「奇妙な毛虫」より)

 贋作ホームズ譚7編を収録した短編集です。
 ワトスン博士が書き残した未発表原稿という,ありがちな体裁の作品ですが,オリジナル原稿はすでに戦火で焼失,ここに発表するのはその手書きの写しであるという,歴史伝奇ミステリにありそうな設定が楽しいです。またホームズ譚のパロディとしての側面とともに,独立したミステリ・シリーズとしての魅力も持っています。
 なお下記の正典のタイトル名は,いずれも,手元にある新潮文庫版のものです。

「消えた給仕長」
 傘を取りに家に入った男が,そのまま忽然と姿を消した…
 密室状況における人間消失を描いた作品。メイントリックは,いわゆる「見えない人間」(<ネタばれ反転)という古典的なものですが,むしろホームズが,「犯人」の「ある準備行動」を推理していくところが,伏線が効いていて楽しめます。
「アマチュア乞食」
 戦友から,失跡した放蕩息子を探すよう依頼されたワトスン博士は…
 原作中のあるシーン−コナン・ドイルであれば,こうは描かないであろうシーンを読んでいて,やはりこの作品はまぎれもなく現代作品−ヴィクトリア朝時代に対するひとつの「見方」を持った現代作なのだろうと思ったら,「解説」で法月綸太郎が同じようなこと書いてました^^;;
「奇妙な毛虫」
 男を自殺に追い込んだ“毛虫”の正体とは?
 届けられた小包による事件の始まり,新大陸を舞台とするバックグラウンドなど,正典の「オレンジ種五つ」を「本歌」とする作品のように思えます。ただショッキングなオープニングは現代風味ですし,また幕引きは「贋作」ならではの趣向と言えましょう。
「高貴な依頼人」
 恐喝される公爵夫人から,犯人探索を依頼されたホームズは…
 正典「白面の兵士」に出てくる有名なセリフ−「不可能なものをすべて除去してしまえば,あとに残ったものが,たとえいかに不合理に見えても,それこそ真実に違いない」の応用ヴァージョンなのでしょう。その「真実」を立証する「積極的証拠」に対する着眼点がいいですね。それにしても,家庭教師,コンパニオン,秘書,メイドなどなど,森薫『エマ』と同じ時代なのだと,つくづく感じる1編でした。
「名うてのカナリア訓練師」
 姿を消した娘を探すうちに,“私”たちが見出した真相とは…
 「解説」によれば,このようなプロットのは,贋作譚ではしばしば取り上げられるそうです。正典がセクシュアルな部分を避けていたから(ドイルもヴィクトリア朝人!)なのでしょう。あるいはまた,以前にも書きましたが,歴史のダークサイドを描くスタイルのミステリとして,ホームズ譚を当てはめたともいえるかもしれません。
「流れ者の夜盗」
 地方の豪邸で続発する盗難事件。ホームズは同一犯と考えるが…
 強敵ほど「探偵魂」が燃え上がると言うことで,かなりアグレッシブなホームズが見られます。ただ,彼が使おうとした,時代の最先端を行く「ある捜査方法」,もう少しストーリィにからめてほしかったですね。
「打ち捨てられた灯台」
 1日中,灯台にこもっている男は,どのようにしてドイツ・スパイと連絡を取るのか…
 正典「ブルース・パティントン設計書」の続編ということで,ドイツとの諜報戦に巻き込まれるホームズ&ワトスンです。「ジャポニスムの時代」ですから,こんな日本の情報が入ってくるのも「あり」かなと楽しく読めました。また正典における,能天気な「イギリス礼賛」とやや異なり,やはり時代の変化の中で,「ホームズ像」も変わるものなのか,と考えさせられます。

05/05/29読了

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