横溝正史『蜘蛛の巣屋敷 お役者文七捕物暦』徳間文庫 2002年

 「なにかに首をつっこんで,命をすりへらすような思いをしてなけりゃ,生甲斐を見出せない男なんだ。この文七という男はな」(本書より 文七のセリフ)

 奥州棚倉八万石・勝田家は,いま奇怪な暗雲に覆われていた。婚礼を目前に控えた一の姫・輝姫が,夜な夜な忍び込む“土蜘蛛の精”と名乗る男と,狂態を繰り広げているのだ。屋敷に招かれたお狂言師のひとり阪東蓑次こと文七は,その場面に遭遇してしまう。そして,勝田家と土蜘蛛党をめぐる暗闘に,みずから飛び込んでいくのだった…

 この作者の捕物帳といえば,戦前の「人形佐七捕物帳」があまりに有名ですが,こちらは,昭和30年代に発表されたシリーズの復刊です。シリーズの存在だけは仄聞していましたが,読むのは今回がはじめて。復刊はなんともうれしい限りです。

 さて本編は,シリーズ第1作ということもあってか,とにかくサービスてんこ盛りの作品となっています。まずは冒頭。深夜の勝田家上屋敷,家中を見回るお局篠の井は,お狂言師阪東蓑次に出逢います。夜の夜中に正装して歩き回る蓑次,それはもう絵に描いたような怪しさ(笑) ところがじつは,“彼女”こそ,本編の主人公文七と来るわけですから,なんとも人を食ったオープニングであり,なおかつ,ここでしっかりと読者の好奇心を掴んでしまいます。
 さらに,夜の勝田家に出没する謎の男“土蜘蛛の精”,蓑次を捕らえるため,喜久松を拉致する謎の集団,捕らわれた蓑次=文七の決死の脱出行などなど,テンポよく事件が展開するとともに,勝田家と土蜘蛛党をめぐる伝奇的趣向たっぷりの暗闘といった事件の背景が挿入されていきます。はたまた,変装や地下の抜け道などといった“小技”も要所要所で描かれます。そしてなによりも,なにゆえ文七は,この事件に積極的関わろうとするのか,という謎がつねにつきまとい,彼の正体への興味を引っ張ります。
 それともうひとつ,忘れてならないのが,本編には,凄絶なエロティシズムに満ちあふれている点でしょう。“土蜘蛛の精”は,もうひとりの勝田家お局滝川の手引きと,麻薬を用いて,姫たちを次から次へと性の虜にしていきます。そしてその結末は,江戸時代という設定や,姫たちが婚礼目前という設定ゆえに,彼女たちの自死という悲惨なものです。このあたりの描写,たしかにこの作者には「鬼火」「真珠郎」といった戦前の耽美的な作品はあるとはいえ,わたしとしてはけっこう意外でした。
 つまり文七と土蜘蛛党との対決というストーリィ展開を横軸としながら,そこに伝奇めいた背景や,さまざまな小技,文七の正体,エロティシズムなど縦軸として絡め,濃密であるとともに,テンポのよいストーリィを展開させていくところは,やはりこの作者の筆力と言えましょう(ところどころでユーモア・テイストを加味しているのも,その効果を高めています)。

 ただ2点ほど,不満もあります。ひとつは勝田邸と天源寺を結ぶ地下道から,両出口に人がいたにも関わらず,文七が姿を消した謎が解かれなかったこと。本格ミステリ作家として有名な作家さんだけに,なんらかのトリックを期待したのですが。それともうひとつは,冒頭で文七vs丹沢大五郎の対決が匂わせながら,ラストではそれが描かれなかったこと。これはおそらく,執筆を進める過程で,丹沢よりも,敵の首魁定禅の方が魅力的で,そちらとの対決をクライマクスにおいたのではないかと思います。

03/06/08読了

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