井上雅彦監修『キネマ・キネマ 異形コレクションXXIII』光文社文庫 2002年

 通算第23集の「異形コレクション」。買ってはいたのですが,ついつい読み過ごしていて,気がつくと20集を超えてしまったのですね。いまや,アンソロジィ・シリーズとしては破格の存在になったと言えましょう。
 さて今回のお題は「キネマ」,映画であります。かつて『俳優』というテーマがあっただけに,多少かぶるようなところもないではありませんが,ホラーにおいて映画が(良くも悪くも)果たした役割−つまりは「恐怖」の映像化とその形式化−を考えれば,ごく自然にテーマとして取り上げられるものではあります。
 気に入った作品についてコメントします。

石田一「未知との遭遇」
 森の中を走る“私”は,奇怪な「屋敷」へとまぎれ込み…
 読み終わってみれば,物語の構造そのものは,さほど目新しいものではありませんが,そこにユーモアたっぷりの,ある「仕掛け」を施すことで,読者の視線を上手にミスリードしています。ラストで思わず吹き出しちゃいました。
北原尚彦「映画発明者」
 父こそ映画の真の発明者だ…しかしその父は,映画完成直前に行方不明になり…
 物語の展開としては,ちと陳腐な感が拭えないものの,やはり素材のおもしろさがいいですね。映画誕生の歴史の陰にこのような「事件」があったというのは,まさに「事実は小説より奇なり」といったところでしょうか。
草上仁「赤と青」
 スクリーンに映った夫婦。その姿は彼らの「現実」なのか,それとも「シナリオ」なのか…
 俳優が,役柄としての「自分」と,役者としての「自分」とを混交する,というパターンは『俳優』でも見られたものですが,ここでは,昔なつかし「立体視メガネ」を小道具として用いることで,両者の入れ替わり(?)を,より効果的,幻想的に描いてみせています。
速瀬れい「プリン・アラモードの夜」
 売れない役者の“俺”が,深夜のファミレスで出会った少女は…
 読んでいて,山岸凉子の傑作ホラー『汐の声』を思い出しましたが,本編では,その作品のような陰惨さはなく,「少女のままの女優」という異形を通じて,むしろ映画人としての哀しみとせつなさを描いているように思います。
本間祐「第三半球映画館」
 梗概は書けない奇妙な掌編集。いや,掌編というより俳句や短歌に近いものがあります。個人的には,不気味な想像をもよおさせる「非常口」が好きですね。
朝松健「恐怖燈」
 石田三成は,果心居士の幻術を利用して,太閤・秀吉を意のままにしようとはかるが…
 この作者お得意の時代伝奇ホラー。「キネマ」という近代技術とどのようにマッチングさせるか,という難問を「幻灯機」を使うことでクリアしているところは巧いですね。さらにそれにもうひとひねり加えて,グロテスクなラストに導いているところもグッド。
町井登志夫「3D」
 首に痛みを訴える患者をレントゲン撮影したところ,映ったものとは…
 ネタ的にメイン・テーマから逸脱している気配もありますし,またわたしの苦手なスプラッタ的色合いの濃い作品ですが,日本のとある伝統的な妖怪を上手に料理している点が楽しめました。
高野史緒「私のように美しい…」
 宇宙船のコールドスリープから目覚めた男が知らされた“真実”とは…
 本編の素材も映画ネタのホラーとしては,使い古された観もありますが,それでも繰り返されて取り上げられるのは,「映画」の中に,「シナリオ」の中に「人生」を見てしまうという,悲しい人間の性がなせるからなのかもしれません。
安土萌「陽の光,月の光」
 目覚めたとき,“わたし”の周囲は闇に閉ざされていた。ここはいったいどこ?
 映画館の持つ独特の密閉性と,「映画を見る」という行為の非日常性。両者を,ある「事件」を媒介として上手に結びつけています。
菊地秀行「通行人役」
 50年前の大災害を映した映像。そこに登場した女性を捜し出した木次は…
 いまではテレビに取って代わられていますが,映画を政治にもっとも効果的に利用した人物としてヒトラーおよびナチスの宣伝相ゲッペルスの名前が挙げられます。映画の持つ「負の歴史」と言えましょう。舞台を架空に設定しながらも,その「負の歴史」と,それに対するレジスタンスを鮮やかに浮かび上がらせています。寓話ともいっていい作品。

02/12/21読了

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