シオドア・スタージョン『きみの血を』ハヤカワ文庫 2003年

 この感想文は,作品の内容に深く触れているため,未読で,先入観を持ちたくない方にとっては,不適切な内容になっています。ご注意ください。

 「孤独な人間の手は,握手を終えた後も,いかに長いこと何かを求めるように差し伸べられたままでいることだろう」(本書より)

 上官を殴り,軍の精神病院に入れられた“ジョージ・スミス”。なぜ彼は上官を殴ったのか? 彼を激昂させた手紙の内容とは? そして彼が好きだという“狩り”とは何なのか? 彼に関心を持った精神分析医のフィルは,彼へのインタビューを試みるが…

 小説の「売り方」って,ホント,難しいな,と思います。文庫カヴァ裏の「梗概」では触れられていませんが,腰巻きの「帯」には,堂々とこの作品が「とあるジャンル」であることが明記されています。しかし読み終わってみると,このような宣伝の仕方が,この作品の魅力を十分に表しているかな?とも思ってしまいます。けっして嘘でも間違いでも,誇大広告でもないのですが,「とあるジャンル」であることは,この作品におけるメイン・モチーフであるとと同時に,ミステリで言えば「真相」でもあるわけです。
 そう,この作品はきわめてミステリ的興趣にあふれた作品であり,このジャンルへの言及は,むしろ逆にミステリ的なストーリィ展開のおもしろさを削いでしまっているようにも一方で思います。それでいながら,この「帯」の惹句があったからこそ,わたしは本書を手に取ったわけですから,そこらへんの矛盾がなんとも落ち着き悪いです。

 さて本編は「これは初めから終わりまでまったくの作り話なんです」という,一風変わったイントロダクションではじまりますが,この点については最後にもう一度触れることにして…
 物語は,上官を殴り精神病院に入れられたジョージ・スミスの「謎」をめぐって,精神科医フィルと友人のアルの手紙のやりとりと,フィルのジョージに対する診断結果報告から成り立ちます。ジョージはなぜ上官を殴ったのか? そのきっかけとなった「手紙」にはなにが書かれていたのか? さらにジョージ・スミスとはいったい何者なのか?という問いとその解明が,本作品の眼目となっています。
 その際に重要な手がかりとなるのが,ジョージが書いた「手記」です。まるで第三者が書かいたような体裁の手記は,「解説」で「地味な」と評されていますが,文体にウィットが感じられるとはいえ,貧しさと家庭内暴力の中で育ち,盗みが発覚して収容所送り,出所後の恋人との出会いと別れ,軍隊入りなどなど,いささか退屈なものです(じつはこのへんで挫けそうになりました^^;;)。
 しかしこの手記−医師のフィルが,治療のために第三者的な視点から書くようにと言って書かれた「手記」という設定が,じつはストーリィの中で重要な意味を持っています。読者は「ジョージ・スミス」を主人公とする「物語」が,彼自身によって書かれた「自己申告」であることを,つい失念してしまいます。しかし本編の後半,フィルは,この「手記」を読み解くことで,本書のメイン・モチーフが「とあるジャンル」であることを明らかにしていきます。それはまさに叙述ミステリと言ってもいい論理性と意外性が見られ,まさにここにこそ本書のストーリィ的おもしろさがあると思います。そういった意味で,この「手記」の地味さ,退屈さは,作者が仕掛けたミス・リーディングとも理解できましょう。

 それともうひとつわたしがおもしろいと思ったのは,上に書いたような人を食ったようなオープニングと,同じような体裁のエンディングです。「作り話である」と冒頭で断りながら,物語は「事実かもしれませんよ?」といった主旨の言葉で幕を閉じます。血液嗜好症であることが明らかにされたジョージ・スミス,作者は彼が「平和なその後」を送ると書く一方で,「撃ち殺された方がよろしかったですか?」と読者を挑発します(その中での「胸」と「腹」の比喩は秀逸)。
 つまり「作り話」であると断った上で,それが「一般通念」−異常者は排除し罰すべきだ−とは異なる幕引きで,読者の心を不安にさせ,さらに加え,「現実とはこんなもんなんですよ」と突きつけているように思います。フィクションとして提示された「物語」がじつは「事実」だったという,いわば怪談の常道を,メタ・フィクション的な手法を用いて描いていると言えるのではないでしょうか? 

 ところでこの作者,アンソロジィ『ヴァンパイア・コレクション』にもユニークな吸血鬼譚「闇の間近で」が収録されています。

03/02/02読了

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