池波正太郎『剣客商売 新妻』新潮文庫 1990年

 前巻で進展を見せた秋山大治郎佐々木三冬の仲。この巻のサブ・タイトルが「新妻」とくれば,「さていよいよか」と思うのは自然の流れ。で,収録7編中,ちょうど真ん中に,その「新妻」のエピソード。「そうか,そうか,これか」と思っていると,なんと2編目「品川お匙屋敷」で,田沼意次の鶴の一声,急転直下,ご婚儀相整ってしまいます(笑)。
 さてこのエピソード,三冬が瀕死の女から一本の筆を預かったことに端を発します。筆の軸の中に入っていた黒い丸薬のような粒ふたつ。一種の香料のようなのですが,医師・小川宗哲が言うには,日本では見かけぬもの。どうやら背後には大がかりな“抜け荷(密貿易)”が絡んでいる様子。そしてその一派に三冬が拉致された! しかしことは抜け荷とあって,奉行所は慎重な態度を崩さない。必死で彼女を捜す大治郎。はたして三冬の運命はいかに? というお話です。
 「抜け荷」という,藩と幕府の暗闘ともいうべき大がかりな事件を背景に,大治郎と三冬のラヴ・ストーリィを描いていくあたり,この作者もけっこうケレン味がありますね(笑)。また抜け荷一味のひとりを捕らえ,三冬が監禁されている場所を聞き出すシーンや,単身,賊一味の隠れ家に乗り込み,鬼神のごとく剣を振るう大治郎の姿(「秋山大治郎の剣が,このときほど,激しい怒りに震い立ったことはなかった。」)などを見ると,剣客と女武芸者の恋の成就もなかなか大変なようです(笑)。まさに「これぞ時代劇!」といったエピソードでしょう。

 さて本書では,前々から楽しみにしていた,大治郎と三冬のエピソードが一番楽しめたわけですが,もう1編,お気に入りは「道場破り」です。三冬の実家・和泉屋の根岸の寮のそばにある小さな祠,そこに住む“稲荷の先生”こと,剣客・鷲巣見平助。我が子の病を治すため,道場破りで金を稼ぎます。ようやくまとまった金が手に入った彼は,親としてのつとめは果たした,「この上,おれが,この世に生きていてもはじまるまい」と,道場破りの間に出会った大治郎に真剣勝負を挑むのですが・・・というエピソード。
 恬淡として,人生を悟ったようなところのある平助の中に潜む剣客としての矜持と血。あるいは,すべてを捨て去ったがゆえに,改めて湧き起こる「ぬきさしならぬもの」。わたしの中に,平助のような「ぬきさしならぬもの」はあるのだろうか? そんな彼の姿にどこか共感のような,一種憧れにも似た感じを抱きます。

 ところで,このシリーズの重要な脇役に,四谷の弥七,傘屋の徳次郎(通称“傘徳”)といった岡っ引きがいます。彼らは秋山小兵衛の手足となって,情報収集,尾行,また捕り物に活躍します。むしろ彼らの活動なくしては,小兵衛の活躍もまた,ない,とは言わないまでも,かなり制限されるのではないかと思います。ぜひ,彼らをメインにしたエピソードも読んでみたいものです(これから出てくるのかな?)。

98/08/26読了

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