池波正太郎『剣客商売 天魔』新潮文庫 1988年

 さて4巻目です。
 当たり前といえば当たり前の話ですが,タイトルが『剣客商売』ということだけあって,本シリーズにはさまざまなタイプの“剣客”たちが登場します。本書ではとくにそんな印象が強いように思います。
 たとえば「箱根細工」に登場する老剣客・横川彦五郎。彼は若い頃から剣術一筋,手をつけた下女にできた子どもを放ったらかして修業三昧。彼は,金で雇われる暗殺者となった息子を,目の前で,秋山大治郎に斬られるという場面に立ちあうことになってしまいます。剣術三昧の結果,といってしまうのは少々酷かもしれませんが,なんとも皮肉な巡り合わせといえましょう。
 一方,「約束金十両」平内太兵衛。同じように剣術一筋,その腕,秋山小兵衛もうならせるものを持っています。そんな彼,孫ほどの田舎娘おもよとの約束を守るため,芸人まがいのことをやって十両を稼がねばならないことになります。どこか浮き世離れした,世間ずれしていない飄々とした平内の姿は,同じ剣客一筋の人物でありながら,横山彦五郎とは好対照になっています。
 そしてもうひとり,表題作「天魔」に出てくる笹目千代太郎。異形の矮躯ながら,天性の足腰のバネを用いて繰り出す剣は,恐るべき破壊力を秘めています。おまけに千代太郎,ひたすら相手を打ち負かすことに快楽を覚えるという「あぶない」性格です。そんな一種の精神的奇形である彼もまた,やはり「剣客」のひとりなのでしょう。
 剣客――それはおのれの剣の腕のみを頼りにして生きることを選んだ男たちではありますが,その行く手に待ち受けるものは十人十色なのでしょう。

 ところで,前巻の頃より,「父離れ」しはじめた秋山大治郎でありますが,その性格も少しずつ変わってきたようです。要するに「丸く」なってきた感じ。
 たとえば「雷神」で,愛弟子・落合孫六「なれ合い試合(八百長試合)」を許可した小兵衛。大治郎は,そんな父に対して「何の違和感も抱かなくなった」自分を不思議がっています。また「鰻坊主」では,大治郎が小兵衛馴染みの小店「鬼熊」をひとりで訪れ,盃を傾けるシーンが出てきます。大治郎自身,そんな自分を「父上が見たら,どんな顔をなさるだろうか?」などと苦笑しています。
 一方では,「天魔」において,小兵衛の替わりに笹目千代太郎と対することになった大治郎,巧妙な作戦で千代太郎を倒し,小兵衛をして,「わしもな,お前と同じやり方で闘おうとおもっていたからさ」と言わしめます。
 このような秋山親子の関係に見られる微妙な変化―それはどこか現代の親子では失われてしまったものなのかもしれません―もまた,このシリーズのこれからの展開を楽しみにさせるものなのでしょう。

98/07/29読了

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