菊地秀行『風の名はアムネジア』朝日ソノラマ文庫 1983年

 「眼をそむけるな。見たものすべてをこころに刻みつけるんだ。そして,その中から探すんだ。人間が何を求めているかを」(本書より)

 199X年5月,人類文明はあっけなく破局を迎えた。人類すべてが突如「記憶喪失症(アムネジア)」に罹ってしまったのだ。やはり記憶を失いながらも,人工的な天才少年ジョニーから知識を得たワタルは,ジョニーの死後,旅に出る。そして廃墟と化したサンフランシスコで,ソフィアという不思議な少女と出会う……

 『トリフィド時代』の感想文でも書きましたが,「もし人類がある日突然××になってしまったら?」という仮定から想像力を膨らませていくのは,SFのもっとも得意とする手法でしょう。本編では,その定番とも言える手法を用いて,「人類がある日突然,記憶喪失(アムネジア)になってしまったら?」という設定を起点としています。そのシチュエーションの背後には(いかにもジュヴナイルにありそうな)SF的な「真相」が隠されているのですが,本作品では,そのことはさほど大きなウェイトを占めてはいないように思います。むしろそんな特異な状況に投げ込まれた主人公ワタルが,旅の途中で遭遇するさまざまな危難と,主人公の成長を描くヒロイック・ファンタジィ的な色彩がより濃いようです。
 そう,まさに異世界を舞台に繰り広げられるヒロイック・ファンタジィでしょう。しかしその「異世界」で必ず出てくるモンスタや「魔法使い」が,すぐれて「現実的」である点が,本作品のユニークさになっています。たとえばサンフランシスコを徘徊する犯罪者鎮圧用の殺人ロボットであるとか,“砕き呑みほすもの”という「異形の神」となった巨大工作機械であるとか,はたまた奉仕すべき人類を突然失ってしまったため狂ったコンピュータであるとか,です。さらに途中で二重人格のサイコパスが登場しますが,彼は「表の記憶」を失いつつも,「裏の記憶」を残して,集団のリーダーを操り,殺人を繰り返します。つまりこの世界の「モンスタ」とは,人間自身でもあるのです。
 それとこの作品特有の異世界性は,舞台がアメリカ合衆国である点にあるでしょう。たとえばラスベガスの巨大カジノは,凶暴な「怪物」が棲む魔窟へと変貌しますし,またかつてのメガロポリスは,危険きわまりないジャングルへとその姿を変えます。しかしその一方,「ジャズの発祥地」ニューオリンズは,たとえ人類が記憶を失ってしまっても,ミュージックに対する熱い想いが噴出する祝祭空間であり続けます。作者は,意図的に現代のアメリカと「架空のアメリカ」をオーヴァ・ラップさせることで,すこぶる個性的な「異世界」を創り上げることに成功しています。それはまた,作者が「あとがき」に書いているように,作者のアメリカに対する想いに発しているのかもしれません。
 「異世界」であるとともに,わたしたちの「世界」とも近しいものも含んだ世界−それが本編のおもしろさとなっています。ちょうどそれは,「新宿」という慣れしたんだ街に,怪物や妖物,怪人,魔人を跳梁跋扈させる「魔界都市<新宿>シリーズ」や,新撰組坂本龍馬をアメリカ西部で活躍させる『ウェスタン武芸帖』を創造した,この作者ならでは「想像力の作法」なのでしょう。

 ところでこの作品の発表年は1983年,仮想された舞台は199X年。それを2002年に読むと,どこか「見知らぬ過去」に出会ったようで,不思議な気分にさせられますね。

02/05/16読了

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