隆慶一郎『風の呪殺陣』光文社文庫 2000年

 「地獄にこそ誇りは必要なんだ。誇りがなければ,生きてゆけない世界なんだよ」(本書より)

 元亀2年(1571),織田信長の比叡山焼き討ちによって,3人の若者の人生は大きく変わった。比叡山の修行僧・昇運は,仏敵・信長を呪殺するため,越前立山で荒行に日々を費やし,谷ノ坊知一郎は長島一向一揆に身を投じ,信長の首を狙う。また同じく修行僧の好運は,京の街でキリスト教宣教師と知り合う。時代の大きな変転の中で彼らがたどった数奇な運命とは……

 織田信長というのは,やはり戦国史上(あるいは日本史上),きわめてユニークで特異な存在であり,多くの作家さんの想像力を刺激する素材なのでしょうね。また本能寺の変において,いわば「志半ばにして」という形で世を去ったことも,彼の劇的な生涯にマッチしているのでしょう。なぜ明智光秀は信長を攻めたのか,という謎もそれに色を添えています。
 この作品は,その信長によって,大きく人生を狂わされた3人のキャラを設定することで,逆に信長の強烈なまでの「個性」を浮かび上がらせるという手法を取っているように思います。その際におもしろいと思ったのは,その3人のキャラの設定の仕方です。
 比叡山の修行僧昇運は,信長による焼き討ちに遭い,達成直前の「百日行」を潰されてしまいます。彼は,僧侶としての道徳・倫理を逸脱し,「信長呪殺」へと邁進していきます。そんな昇運の姿は,仏法を忌み嫌い,オカルティックなものを徹底的に無視したといわれる信長と鮮やかなコントラストをなしているといえましょう。
 同様のことは,谷ノ坊知一郎にも言えます。信長によって家族を殺され,故郷・坂本の町を焼き払われた彼は,諸国を流浪する傀儡(くぐつ)一族と遭遇,伊勢長島の一揆勢に身を投じます。「道々の輩(ともがら)」「上ナシ」という「自由の民」としての,傀儡一族の捉え方,長島一揆の描き方は,『影武者徳川家康』でも取り上げられた,この作者の歴史観に基づくものでしょうし,作者の,彼らに対するシンパシィ,熱い想いが伝わってきます。つまり「自由の民」としての戦いに知一郎に身を投じさせることで,「独裁者」としての信長の姿を際だたせているといえます。
 一方,昇運の弟弟子である好運は,京の街で知り合ったキリシタンの少女美鈴が,織田勢によって殺されたことをきっかけとして,宗教者としての自覚を持ち,比叡山復興に尽力します。昇運や知一郎のようにドラマチックではありませんが,独裁者が押しつぶそうとしても,けっして押しつぶされないものがある,ということを,好運というキャラクタを通じて描き出しているのではないでしょうか。

 本書は,元本が1990年刊行ですが,執筆は1986年,この作者の時代小説デビュー作『吉原御免状』に続く第2作とのことです。「自由の民」や「かぶき者」といった「権力に媚びない人々」からの視点で歴史を描き出そうとする作者のスタンスがすでに現れていますね。ただちょっと「もったいない」という印象が拭えません。ヴォリュームと内容とのバランスがいまひとつというか。とくに谷ノ坊知一郎,伊勢長島の一揆をめぐるエピソードは,もっと描き込んでほしかったというのが正直な感想です。『信長公記』の記事を羅列して,作者の信長評を付けるという手法は,歴史評論ならともかく,小説としては,素材をあまりにレアのまま扱いすぎている感があります。作家デビュー2作目ということで,あまりページ数をもらえなかったのかな?

 ところで,明智光秀がなぜ信長を攻めたか? 本編での解釈は,半村良の伝奇SF『産霊山秘録』を思い出させますね。

02/02/28読了

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