佐藤賢一『ジャガーになった男』集英社文庫 1997年

 1613年,泰平の世を嫌って,伊達政宗の遣欧使節団に随行した斎藤小兵太寅吉は,イスパニアで,イダルゴのベニトと彼の妹エレナと出会う。ひとり異国に残った彼は,戦場を駆けめぐり,勇猛な戦士“アッチラ”の名で知られるようになるが,さらなる数奇な運命が彼を新大陸へと導く・・・

 この作者のデビュウ作で,「第6回小説すばる新人賞」受賞作です。といっても,投稿作300枚に加筆して,600枚にしているとのことですから,ほとんど別の作品と言っていいのかもしれません^^;;

 さて,この作者の作品を読むのは,『傭兵ピエール』につづいて2作目ですが,本編の主人公斎藤小兵太寅吉のキャラクタ造形には,ピエールと共通するものがあるように思います。それは,「愚か」といってしまっては少々言葉がきついかもしれませんが,不器用で,一本気,見栄っ張りで,ときに滑稽なところです。しかし,彼らの姿は,同性の眼からすると,「わかっちゃいるけど,やめられない」といった感じのほほえましいものがあるのもまた事実です。
 男には(なんて,言い方は正直好きではありませんが),「闘い」というシチュエーションに対して,どこか憧れのようなものがあるのかもしれません。それは必ずしも「戦場」でなくてもいいわけで,ゲームでもよし,仕事上のことでもよし,とにかく「なにかと闘って勝ち取りたい」という欲求とでもいいましょうか? さらに言えば,その「闘い」において,「勝ち取ったもの」自体には,それほどの価値はなく,じつは「闘うこと」「勝ち取ること」それ自体が自己目的化している場合さえあります。

 作者は,しかし,ただ単にそんな「男の論理」を能天気に描くのではなく,そのカウンタとして,さまざまな女性キャラクタを配します。とくに,寅吉を愛し,ついには狂気へと陥るベニトの妹エレナは,そんな「男の論理」の愚かさ,危うさを浮き彫りにしています。たとえば,次のような会話がそうです。
ベニト「女のおまえこそ,戦場のなにを知るのだ」
エレナ「知ってるわ。骨身にしみて知ってるわ」
ベニト「ではいってみろ。どんな場所だ,あ?」
エレナ「母さんから父さんを奪ったところよ」
 それゆえこの作品は,主人公・寅吉の波瀾万丈,痛快無双の物語ではありますが,そこには常に,ある種の「もの悲しさ」「泣き笑い」がつきまとっています。
 スーパー・ヒーローでも,英雄でもない,ただ「戦う」ことにしか,自分の存在理由を見いだせない男の物語(寅吉はみずからをドン・キホーテになぞらえています)――それがこの作品ではないでしょうか? だからこそ,けして自分では味わえない,遠い過去の数奇な運命でありながら,その渦中の寅吉に対して,妙に身近な親和感を抱くのではないかと思います。

00/01/01読了

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