志村有弘編訳『新編 百物語』河出文庫 2005年

 平安時代から江戸時代までのさまざまな怪異譚100編収録しています。「怪奇・伝奇時代小説選集」が,この編者による「近現代編」とすれば,こちらは「前近代編」といったところです。また対象こそ「説話」や「伝説」ですが,これも立派な(?)アンソロジィと呼んでいいと思います。
 テーマごとに8部構成になっていますので,各部ごとにコメントします。

「1 鬼篇」
 16編を収録。大きく「人が鬼になる話」「異形としての鬼の話」という2種類に分けられます。前者では,やはり女性が嫉妬心から鬼になるという話が目立ちますね。おもしろいのは,黒髪を飴や松ヤニで固めて「5本の角」にするというところ。丑の刻参りで,五徳を逆さまにかぶるというのと,何か関係あるのかもしれません。また男性も鬼になります。それも霊験のある僧侶が,天皇の后に横恋慕して鬼になるという内容。おまけに后は鬼に魅入られ,天皇が手を出す術もないというのは興味深いです。後者は,『今昔物語集』などからが多く,「安義橋の鬼」「宴の松原の鬼」,あるいはまた在原業平が恋人を鬼に奪われるといった有名どころが並びます。その中で抜群のユニークさは「鬼の板の殺戮」で語られる「板の形をした鬼」。角が生えていて虎の腰巻きという姿がパターン化する前は,さまざま形の鬼がいたようですが,こういったのもアリか,と感心しました。
「2 魔物・妖怪篇」
 15編を収録。まず驚いたのが,最初の「僧の妻となった悪魔」。理由は書かれていませんが,何度も生まれ変わりながら,ひとりの人物の菩提を妨げる魔物の存在を想像させる心性というのは,いったいどういうものなのでしょうかね。ところで本章には,『今昔物語集』など平安時代の説話と,『耳袋』など江戸時代のそれをおさめていますが,同じ妖怪譚であっても,両者には,なんとなく異なる手触りがありますね。それが「妖怪と人間との距離」という部分の違いなのか,単に,時代背景の親近感(江戸の方が馴染みやすい)の違いなのか,そこらへんうまく言い表せないのですが…
「3 幽鬼篇」
 収録数24編と一番多いのは,やはりこのテーマが,日本の怪異譚で,ひとつのメイン・ストリームを作っているからに他ならないからでしょう。また江戸時代のものが多いせいもあってか,「どこか聞いたことがある」「どこかで読んだことがある」という感じの比較的オーソドクスな話が多く,現在「実話怪談」などと称して流通しているお話のプロト・タイプと呼べそうなストーリィも見受けられます。そんな中でおもしろかったのが,「家に戻った死体」「赤子に乳を与える幽鬼」の2編。前者は,死体を墓に葬ろうとするたびに,いつの間にか自宅に死体が戻っているというお話で,理由がいっさい記されていないところも,なにやら不気味です。後者は,幼い赤ん坊に,死んだ母親が毎晩乳を与えに来るという,ストーリィそのものはよくあるパターンなのですが,この母親の「幽鬼」は肉体を持っており,いわゆる「幽霊」とは,ちょっとイメージが違います。
「4 予兆怪奇篇」
 5編を収録。笑ってしまったのが「死人の頭に載った冠」。主人公の男は,「予兆」があってから4〜5年後に死んだという話で,思わず「それって,関係ないんじゃないの?」と突っ込みたくなりました(笑)
「5 死霊・悪霊篇」
 15編を収録。「3 幽鬼篇」のサブ・ジャンルという気がしないでもありませんが,上に書いたように,この手のお話は多いのでしょうね。「女霊」は,死霊そのものより,「開けてはいけない」と言われた箱の中身−「くりぬいた数多くの眼球,気の少しついた男根がたくさん」−が,なんともグロテスクです。なにかの呪術のアイテムなんでしょうかね? 「山伏の死霊」では,へんな小細工のない,侍と死霊との「ガチンコ勝負(笑)」が描かれていて,独特の味を出しています。『今昔物語集』出典の「手招きをする手」は,夢枕獏『陰陽師』で使っていますね。
「6 人魂篇」
 収録数は4編と,一番少ないです。怪談には「必須アイテム」とはいえ,単独では,なかなかまとまった話はないのかもしれません(要するに「出た」「見た」だけでしょうから)。そんな中で,「火の玉,空を飛ぶ」という話は,「人魂」というより,むしろ隕石落下の目撃談風で,やや異色の観があります。
「7 動物怪異篇」
 7編を収録。両手の親指が蛇になるという「蛇となった指」は,当時としては何らかのいわれがあったのかもしれませんが,今の目からするとシュールな印象を受けます。また「体にまつわる二匹の蛇」も,2匹の蛇と,2人の少女との関係がほのめかされるだけで,両者にどういうつながりがあるのかはっきりせず,「奇妙な味」的なお話です。一方,酒好きの夫を,亡妻が狐を使ってたしなめる「狐を頼んだ霊鬼」は人情話といったところでしょうか。
「8 怪談奇談篇」
 14編を収録。「法華経を読む髑髏」「竹に貫かれた髑髏の怪」「人面瘡」など,有名どころが並びます。「茶碗の中の顔」も,たしか小泉八雲が翻案していたのではないでしょうか。行方不明になった息子が,井戸の中で死体で見つかる一方,その本人がそのあとお参りに行った浅草から帰ってくる,墓を掘り返せば,たしかに息子の死体があるという「死んだはずの息子」は,幽霊譚ともつかぬ,じつに奇怪なお話で,お気に入りのひとつ。また「厠から二十年後に帰ってきた男」もタイトルどおりで,今ならば「SF的オチ」がつきそうの内容です。逆に,古井戸に降りた人々がつぎつぎと死ぬ「古井戸の怪」は,井戸の中に有毒ガスが発生していたのではないかという合理的な解決を想像させます。

05/08/28読了

go back to "Novel's Room"