山田正紀『人喰いの時代』ハルキ文庫 1999年

 「歴史そのものが侵略戦争という狂気の犯罪に突入しようとしているとき,個人のささやかな犯罪をあばくのは,ある意味では理性と良心の証であったのかもしれない」(本書より)

 二・二六事件,満州事変,盧溝橋事件・・・戦争の暗雲が日本を覆いつくそうとしていた昭和初期。陰鬱な想いを抱えて,カラフトへ渡ろうとした椹(さわら)秀助は,船中で,人間心理の探究者を名乗る奇妙な男・呪師霊太郎と出会う。以来,北海道のO−市に住み着いた彼は,霊太郎とともに不可思議な事件に遭遇する・・・

 以前どこかで,「推理小説とは民主主義の元だからこそ成り立つ小説である」とかいうような文章を読んだことがあります。証拠と論理によって犯罪を暴いていく推理小説という形態は,権力を背景に強圧的に国民を「捜査」していく全体主義的な国家や時代とは馴染まないものというような意味のようです。この言葉の是非はともかく,本書では,証拠と論理ではなく権力と拷問によって「犯人」を探し出す(創り出す?)悪名高い特高刑事が頻繁に顔を出し,探偵役である呪師霊太郎に対置されています。この作品での「名探偵」は,事件の解決役であるとともに,「名探偵」の存在を許さない社会―証拠と論理を重んじない強権的な社会―への告発者としての役回りを与えられているようです。たとえそれがあまりに無力であったとしても・・・

 さて物語は,椹秀助と呪師霊太郎が出会う奇怪な事件を描くという短編連作という形で進行していきます。「人喰い船」では,船上で起こった殺人事件が描かれます。なぜ容疑者の絞られる船の中であえて殺人を犯したのか,という謎が提示されます。「人喰いバス」では,温泉地から町へ戻るバスから,乗員乗客全員が消失した怪事件の謎です。それとともに誰も近寄ることのなかった被害者がいかに殺されたか,という謎も出てきます。「人喰い谷」では,谷に落ちたはずのふたりの男が,翌春,捜索しても発見されない謎が,不気味な伝説とともに語られます。さらに「人喰い倉」では,密室の倉の中で死んだ男の謎,「人喰い雪まつり」は,いわゆる「雪密室」です。
 いずれのエピソードも,ひねりが加えられていて,それなりに楽しめます。とくに「人喰い谷」は,真相はおおよそ見当がつくものの,メインとなるトリックはなかなかおもしろく読めましたし,犯人のキャラクタもいいですね。ただ全体的に小粒といった印象は拭いがたく,「なんで,こんなに有名なんだろう」などと少々首をひねっていました。

 が・・・最後の「人喰い博覧会」になると,一気にストーリィは変貌していきます。昭和12年,小樽で開かれた「北海道大博覧会」を舞台として,「放送塔」から降ってきた死体,そして現場は密室状況という不可思議な事件が,秀助と霊太郎の目前で発生します。さらに特高刑事の自殺死体が発見され・・・と展開していくのですが,読んでいて「あれ?」と思うところが出てきます。「どういうことなのだろう?」と想いながら読み進めていくと,中盤にいたって,それまでのストーリィの基盤が崩れはじめていきます。そして「現在」80歳の秀助の目の前で起こった「密室殺人」と絡み合いながら,物語はまったく異なる容貌へと変じていきます。ここらへんの「戸惑い感」「眩惑感」はじつに心地よいものがあります。
 「本格パズラ」であるととも,ある意味で「叙述トリック」,さらに「メタ・フィクション」的な雰囲気も匂わせており,「社会派」的な顔も持っている・・・本書とともに,この作者のミステリ・デビュウ作が『ブラックスワン』であることを考え合わせると,つくづく変化球が好きな,それもいろいろな変化球を貪欲に投げようとする作家さんなのだと思ってしまいました。

98/03/17読了

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