斎藤肇『廃流』廣済堂文庫 2000年

 S県田山市―これといって特色のない地方都市で,奇怪なバラバラ殺人事件が続発する。しかし躰の切断面は血を流すことなく,さながら「分解」されたかのよう・・・一方,少年時代に田山市の山中で出会った不思議な少女を忘れられない佐久諒矢は,その記憶と怪事件との間に結びつきがあることを感じはじめていた・・・

 『死の影』『リアルヘヴンへようこそ』につづく「異形招待席」の第3弾は,前2作とはテイストを大いに異にする幻想的な物語です。

 ホラー作品では,人々を襲うさまざまな超自然的な災厄が描かれます。乱暴な言い方かもしれませんが,その災厄のきっかけは,大きく「悪意にもとづくもの」と「愚かさに由来するもの」の二者があるのではないかと思います。
 「殺したい」「壊したい」「滅ぼしたい」・・・人間の心から発するものであれ,人外の異形に由来するものであれ,また悪意が自分自身に向かうにしろ,他者に向かうにしろ,はたまた意図的であれ無意識的であれ,そんな悪意や邪な意思が,人々にさまざまな災難をもたらします。そして,あるときはその悪意が勝利し,またあるときは敗北し,退けられます。
 また欲望から,好奇心から,愛憎から「パンドラの匣」を開けてしまったがゆえに,たとえば異次元から,たとえば太古から,たとえば人間の心の奥底に眠る「闇」から異形のものが,あるいはコントロール不能な巨大な「力」が姿を立ち現れるというパターンがあります。それらを括ってしまえば「愚かさに由来する災厄」と言えるでしょう。
 ひるがえって,本作品を見たとき,たしかに田山市に住む人々は,かつて人類が経験したことのない,大いなる災厄に見舞われ,恐怖におののきます。最初は,ひとり,ふたりと,躰の一部が「持ち去られる」という形ではじまった災厄は,徐々に拡大,ついには幾何級数的に肥大し,町全体の住人を巻き込み,パニックへと導いていきます。
 しかし,その災厄のきっかけは,けっして悪意や愚かさから生じたものではありません。ひとりの少年とひとりの少女との出会いが引き金となっています。閉ざされた環境の中で,偶然出会った少年に対する少女の想い,憧れが,未曾有の災厄を人々にもたらします。もちろん,その憧れが災厄に変わってしまう,フィクションとしての背景があるわけですが,それさえも,悪意ではなく,「娘を助けたい」という父親の愛情に発するものです。それゆえこの作品で描かれる災厄は,悪意でも愚かさでもなく,いわば「行き違い」「ボタンの掛け違い」に発するものと言えるかもしれません。メイン・キャラクタのひとり佐久諒矢のセリフ,「誰も悪くなくても,困った事態は発生する」が,本作品で描かれる災厄の本質を言い表しているのでしょう。
 ですから,読後感も,災厄に対する恐怖よりもむしろ,災厄を発した原因に対するせつなさ,哀しみ,儚さのようなものが強く感じられます。それは,グロテスクでありながら,どこか幻想的なタッチで描き出される「怪物」の姿のせいかもしれません。余情あふれるラスト・シーンも一役買っているでしょう。

 ホラーとも,SFとも,ファンタジィとも,どこかひと味違っている本作品は,「異形コレクション」の編者が言うように,まさに「異形」としか呼びようのない作品なのかもしれません。

00/02/05読了

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