船戸与一『午後の行商人』講談社文庫 2000年

 「何となく今夜を境にぼくは変わっちまったような気がするんだ。うまくは説明できないけどね,胸の裡でおかしな風が吹きはじめてる・・・・」(本書より)

 メキシコの田舎町で偶然知り合った老行商人“タランチュラ”。彼と同行して,メキシコの辺境を巡りはじめたことが,すべての始まりだった。凄惨な過去をひきずる“タランチュラ”,サパティスタ民族解放軍のゲリラ活動で揺れるメキシコ・・・平々凡々な生活を送っていた日本人留学生“ぼく”の人生は,大きく変貌を遂げていき・・・

 本編は3つの「物語」と,その絡まり合いを描きながら進行していきます。ひとつめは,“タランチュラ”による復讐の「物語」です。23年前,彼は,娘とその婚約者を8人の無法者たちによって惨殺されたという過去があり,行商を続けながら,彼らをひとり,またひとりと殺していきます。彼自身が自覚しているように,彼の人生は「妄執」と「狂気」に彩られています。2つめは,舞台であるメキシコ・チアマス州で繰り広げられる反政府闘争ゲリラサパティスト民族解放軍をめぐる「物語」です。ゲリラのオテックは,政府公安部が仕組んだ先住民分断工作を殲滅しようと動きます。そして3つめは,匪賊の頭目ヴァルガスとの闘争です。タランチュラが彼の一味を殺したことから,ヴァルガスは執拗にタランチュラを追い続けます。
 これら,激しい民族運動を背景としながら,憎悪と狂気,そして「血」にまみれた「物語」が,相互に響き合い,錯綜しあい,もつれ合いながら進行し,ギリギリとサスペンスを盛り上げたのちに,ラストでカタストロフへと流れ込んでいくストーリィ展開は,この作者にとって,まさに自家薬籠中のものと言えましょう。そういった点で,この作品は,これまでの船戸作品をパターンを踏襲しているものです。

 しかし,この作品がこれまでの作品と大きく異なる点のひとつは,視点を“ぼく”に固定したことがあります。上記のように,複数の流れがひとつに収束していくことによって,クライマクスを高めるストーリィ展開の際に,視点をひとつの固定することは,デメリットにこそなれ,メリットになることは少ないと思います。ひとつの視点では,それらすべての動きをカヴァすることはできず,どうしても,それぞれの流れのニアミスによって生じるサスペンスを減じてしまうことになってしまうからです。
 作家歴の長い,この作者のことですから,そのことは十分に熟知していることと思います。それでもなおかつ,このような固定した視点設定を選択したことは,この作者の意図が,それとはもうひとつ違うところに置かれているからではないでしょうか。それは「平凡な日本人青年が,これまで生きてきた平和な「世界」から,血みどろの,「殺すか,殺されるか」という「世界」に投げ込まれたら,どうなるか? どのように変容するのか?」ということです。
 冒頭,主人公が,平凡でやさしい日本人青年がなぜ殺人を犯し,裁判にかけられるのか? という「謎」が提出され,いわばその「答」として,上に書いたような3つの物語が語られるという体裁になっています。ですから,ストーリィを牽引する3つの物語とは,いうなれば,主人公の「変容の物語」の舞台装置であり,また後景として見ることもできます。このことは,どこか幻想性を漂わせたラストの幕の引き方にも現れているように思います。
 「変容の物語」を作品の主眼にすえたがゆえに,お話作りとしてはデメリットになることを承知した上で,あえて一人称の語り手を選択したのではないかと想像します。

 冷徹な視点で,現代と過去の政治的闘争劇を,叙事詩的な手法で描いてきた作者が,この作品で「外的な世界」と「内的な世界」との相関関係に焦点を当てていることは,「緑の底と底」に通じるものがあり,注目されるのではないかと思います。

01/01/03読了

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