山田風太郎『幻燈辻馬車』全2巻 文春文庫 1980年

 「人の世に情けはあるが,運命に容赦はない。」(本書より)

 明治15年,元会津藩士・干潟干兵衛は,辻馬車の馭者として糊口をしのいでいた。つねに孫のお雛を同乗させていることから,ついた綽名が“親子馬車”。そんな彼の辻馬車には,さまざまな人々が乗っては降り,降りては乗っていく。その有り様は,さながら明治という時代を映し出す走馬燈でもあるかのようだった・・・

 この作者の「明治もの」を読むのは,『明治断頭台』に続いて2作目です。『断頭台』が奇想に満ちた,トリッキィなミステリであったのに対し,本書は,もちろんミステリ的な趣向もふんだんに盛り込みながらも,幽霊が登場したりする,伝奇的色合いの濃い作品となっています。

 本作品のおもしろさは2種類あるように思います。
 ひとつは,作者のシニカルで,冷徹な視線で描き出される「明治時代」であり,「自由民権運動」です。「明治時代」にしろ,「自由民権運動」にしろ,どちらかというとプラス・イメージで語られる歴史的事象です。前者は「文明開化」「近代化」の時代として,後者は,のちの国会開設につながる民主主義運動として,です。もちろん両者はそういった面も持ち合わせていたことは事実でしょうが,作者は,その「暗黒面」にスポット・ライトをあてます。
 たとえば「明治時代の暗黒面」としては,県民に苛斂誅求を加える福島県令三島通庸の姿に象徴され,その「凄腕」を評価する明治政府に現れています。一方,「自由民権運動」についても,そのテロリズム的な側面を描き出し,「過激派」と評しています。あるいはまた,自由民権運動を「時代に乗り遅れた武士たちの憤懣」によるものとする主人公干潟干兵衛の認識にも,その一端が表されているかもしれません。いずれも,「権力」あるいは「政治闘争」が否応もなく抱え込む「暗部」を抉りだしています。
 作中,作者は,干兵衛の死んだ息子蔵太郎と妻お宵の幽霊を登場させ,干兵衛の危機を救わせます。これは伝奇性を強調する効果もあるのでしょうが,それとともに,一介の庶民である干兵衛が,「権力」や「政治闘争」といった「怪物」を相手にするにはあまりに無力であり,スーパーナチュラルな「力」を導入しなければ乗り切っていけないという,作者のペシミスティックな認識から生み出されたと考えるのは,穿ちすぎでしょうか?

 もうひとつのおもしろさは,ストーリィ・テリングの巧みさです。
 物語の前半,干兵衛に関わるさまざまな人物たちが登場します。それらは,明治時代に活躍した三遊亭円朝大山巌中江兆民松旭斎天一マダム貞奴川上音二郎伊藤博文などといった実在の人物たちが多く含まれます。彼らにこの作品だけの架空のキャラクタを絡めながら,明治時代の一面一面を切り取って見せます。伝奇的な「明治絵巻」を繰り広げる,連作短編集的なテイストを持っています。
 しかし作者は,それら虚と実とが交錯する展開の中に,丁寧に謎と伏線を埋め込んでいきます。そして,干兵衛が,本格的に警察の密偵と自由党壮士との暗闘に巻き込まれていく後半において,それらが生きてきます。その後半の展開は,じつにスピード感にあふれ,なおかつ,それまでに登場していたキャラクタの意外な素性が明らかにされるとともに,干兵衛とお雛をめぐる因果が,思わぬ形で解きほぐされて行くところはサスペンスと緊張感に満ちています。
 前半のエピソード羅列風の展開に,それはそれで面白味はあるものの,そのゆったりとしたペースのため,多少の歯がゆさを感じていただけに,後半での対照的な疾走感には,正直まいってしまいました。この作者が類い希なるエンタテインメント作家であることを改めて感じ入りました。

 う〜む,やっぱり山風の「明治もの」はおもしろい。

00/04/23読了

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