佐々木譲『エトロフ発緊急電』新潮文庫 1994年

 日米開戦前夜,アメリカは,日本軍がハワイ真珠湾を奇襲するという情報を入手。ひとりの日系アメリカ人,斉藤賢一郎をスパイとして日本に潜入させる。東京で,奇襲の出撃地が択捉島・単冠(ヒルカップ)湾であることを知った彼は,特高に追われつつ,択捉へと向かう。続々と単冠湾へと集結する日本海軍の軍艦。彼はその情報をアメリカに無線で連絡しようとするのだが・・・

 ひとつの作品がおもしろいと,同じ作家を続けて読むという性格です。先日読んでおもしろかった『夜にその名を呼べば』に続いて,佐々木譲は2作目です(「譲」は「ゆずる」ではなくて,「じょう」と読むんですね)。

 この物語には,多くの登場人物が出てきますが,人物描写がじつにうまいです。主人公の“ケニー”こと斉藤賢一郎。東京で彼のスパイ活動をサポートするアメリカ人神父のスレンセンと朝鮮人金東仁(日本名金森)。択捉島の駅逓の女主人岡谷ゆき。クリル人(千島アイヌ)で,彼女の右腕宣造
 これら多彩な登場人物は,メインストーリーである斉藤のスパイ活動に,さまざまな形で関わりますが,作者は,これらの人物を丁寧に描写することによって,日本の,そして世界の「近代」のもつ暗部をみごとに切り取って見せます。スペイン内戦,南京大虐殺,千島アイヌの強制移住,朝鮮支配と強制連行,アメリカにおける日系人差別・・・。ストーリーそのものの時間の流れは,1年弱,メインの部分は2ヶ月ほどですが,これらの人物描写によって,物語に深い時間的な奥行きが感じ取れる重厚な作品です。

 もちろんサスペンス小説としても,おもしろく読めます。ハワイで主人公が受ける「テスト」のシーンや,東京でのスパイ活動,択捉へ向かう主人公と特高警察の刑事との追跡劇など,要所要所に緊迫感のある山場や,アクションシーンが設定されていて,読者を飽きさせません。とくに主人公と刑事との追跡劇は,派手ではありませんが,緊張感のある場面で,個人的には,気に入っている部分です。
 また前半部で描かれる,択捉島でのタコ部屋からの脱走者事件や,択捉の警備隊長・浜崎の岡谷ゆきへの言い寄り,さらに宣造と室田との確執など,メインストーリーとは直接には関係のない部分が,後半の物語の展開で,重要な意味を持ってくる点,物語つくりがうまいなあ,と感心しました。

 この作品は,山本周五郎賞,推理作家協会賞,冒険小説協会大賞を総なめしているそうですが,むべなるかな,と思います。

97/04/13読了

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