吉村昭『大黒屋光太夫』新潮文庫 2005年

 「一緒に梅の咲く故郷へもどろう」(本書より)

 天明2年(1782),伊勢白子浦を出た「神昌丸」は,暴風雨に遭遇し,アリューシャン列島の小島に漂着する。沖船頭・大黒屋光太夫ら17人は,その後,ロシアへと渡り,10年間に渡って,極寒の地を彷徨うことになる。一人また一人とロシアの土と化す仲間たち。しかし博物学者キリル・ラクスマンの協力を得て,女帝エカテリナに謁見,ついに帰国の許可を得る。だが故郷に戻り得たのは,光太夫と磯吉のわずか2人だけだった…

 おそらく江戸時代における漂流民としてはもっとも有名な大黒屋光太夫の10年間のロシア彷徨を,『漂流』『アメリカ彦蔵』など「漂流文学」の佳品を発表してきたこの作者が,まさに満を持して描いています。
 ここで「満を持して」と言うのは,これまで多数描かれてきた大黒屋光太夫−たとえば井上靖『おろしや国酔夢譚』五木寛之『ソフィアの歌』など−が,彼からの聞き取りを桂川甫周がまとめた『北槎聞略』をベースにしているのに対し,本編は,新たに発見された,もうひとりの漂流民磯吉の聞き書き記録『魯西亜国漂舶聞書』『極珍書』を加えている点にあります。
 たとえばそれは,アリューシャン列島におけるロシア人の原住民に対する苛酷な弾圧,それにはからずも「加害者」の側として加わらざるを得なかった光太夫一行の姿であったり,磯吉のロシア女性との悲恋であったり,またロシアに残ることになった庄蔵との別れに際しての光太夫の配慮であったり,キリル・ラクスマンの献身的な彼らに対する援助であったりと,光太夫たちの彷徨の姿を,光と影を含めて,より詳細に,より生々しく,そしてより深く描いています。

 しかしもちろん,新史料を加えるだけで評価されるのは「論文」であって,「小説」ではありません。けれども本編は,小説としても,この作者の代表作のひとつとして十二分に評価できるのではないかと思います。
 たとえば冒頭の,出航前日のシーンで,砂浜に立つ光太夫は,以下のように思います。
「砂浜は北にむかって長くのび,松の林が砂浜とともに遠くつづいている。文字通りの白砂青松で,これほど美しい海浜を他の地で目にしたことはなく,この地を故郷としているのを誇りに思っている。」
 そしてそれに続いて,
「砂地を踏んでくる足音が背後でし,振り向くと「神昌丸」の水主磯吉が近寄ってきて「若宮様への参拝の仕度がととのいました」と,言った」
とあります。
 大黒屋光太夫の漂泊と帰還の物語はとても有名ですので,そのおおまかなストーリィは,おそらく多くの読者の頭の中に,すでにインプットされていることでしょう。それゆえにこのオープニング,つまり「故郷を誇りに思う」という描写は,光太夫の強烈な「帰国の意志」を支えるバックボーンとしての意味を持ち,またまずまっさきに登場する磯吉は,光太夫とともに唯一帰国できた船員であります。
 つまりこの冒頭の数ページにおいて,作者は,これから始まる光太夫たちの彷徨を,じつに象徴的に表現しているように思います。言い換えれば,「有名な物語」であることを逆手にとることで,印象的なオープニングを描き出していると言えましょう。

 そしてもうひとつ,この作品で印象的に残ったことは,ストーリィが,徹底して「光太夫たち=漂流民の視点」に設定されていることです。
 たとえば光太夫たちは,ロシア本土上陸後,オホーツク,ヤクーツク,イルクーツクと,まるで運ばれるかのように移動していきます。光太夫は,そこに「ロシア政府の意志」を感じ取りますが,その「意志」−漂流民を日本語教師としてロシアに縛り付ける意志は,イルクーツクに着いて初めて明らかにされます。彼らへの保護を断ってまで,ロシア帰化を強要する政府に,光太夫たちは憤り,哀しみ,嘆きます。同様に,エカテリナ女帝による帰国の許可も,ロシア政府の政策転換−「機は熟した」との判断から,光太夫たちを日本との折衝の外交カードに使う−の中で出てくるわけですが,光太夫にとっては,ひたすら「女帝の慈悲」という形で受け取られます。つまり視点を光太夫たちに設定することで,彼らの漂流民としての喜怒哀楽をより鮮明に浮き上がらせることに成功しています。
 そのことがもっとも効果を生んでいるのが,光太夫と新蔵とのペテルブルグでの再会でしょう。女帝の許可を得たことを嬉々として伝える光太夫,仲間の死体が異教徒ゆえに野ざらしにされるのを目撃し,ロシア正教に入信,帰国をあきらめた新蔵,両者の残酷なまでの「運命の分かれ目」のシーンは,漂流民たちの視点にこだわり,その心理の流れを重視して描いてきた本編だからこその,ぐっと胸に迫る場面となっています。
 この作者にとって「漂流文学」とは,まぎれもなく「漂流民の物語」であることを,如実に伝えているように思います。

 作者の「文庫版あとがき」によれば,「今後,漂流記を書く気持ちはない」とのこと。読者としては残念ですが,この大黒屋光太夫の物語を書くことは,漂流記を数多く手がけてきた作者にとって,ひとつの「落とし前」なのかもしれません。

05/08/17読了

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