大瀧啓裕編『クトゥルー3』青心社 1989年

 「ぼくたちの暮している世界が唯一の世界というわけじゃない。ほかの世界がきみが考えているよりも近くに広がっているのさ。見える世界と見えない世界が,ときとしてとりかわることだってある」(本書「彼方からのもの」より)

 9編を収録した「暗黒神話大系シリーズ」の第3集です。

アンブローズ・ビアース「カルコサの住民」
 男が,気がつくと迷い込んでいた“場所”とは…
 基本的にストーリィ指向のわたしとしては,こういった韻文的なイメージ先行の作品は,なんとも評しようがないんですよね。で,ビアスもクトゥルフ神話を書いていたんだ,と思ったら,編者の解説によれば,「神話以前」の作品ながら,それをも神話は取り込んでいるとのこと。恐るべき神話の貪欲さ。
ロバート・W・チェンバース「黄の印」
 気味の悪い教会の夜警を見かけるようになってから,“ぼく”の生活は変調し始め…
 恋愛が絡んでいるところが珍しいけれど,「核心」を描かず,そこから派生する事件により,逆に核心を想像させる手法は,まさにH・P・ラヴクラフト以来の神話の真骨頂,と思っていたら,この作品も「神話以前」とのことで,びっくりしました。
クラーク・アシュトン・スミス「彼方からのもの」
 凡庸な彫刻家が,“変身”した理由は…
 素材的には,「ピックマンのモデル」の変形ヴァージョンといったところでしょうが,グロテスクながらも哀しいラスト・シーンがいいですね。
A・ダーレス&M・R・スコラー「邪神の足音」
 幽霊屋敷という噂のある家を借りた作家は…
 誰もいないはずの2階から足音が聞こえる,というのは,「幽霊屋敷もの」では定番と言っていい怪異ですが,そこに邪神を絡めたのが,本編の「ミソ」と言えましょう。
ロバート・ブロック「暗黒のファラオの神殿」
 謎のファラオ・ネフレン=カの地下納骨所で,考古学者が見たものは…
 物語の着地点は,途中で見通せますが,そこにいたるまでのストーリィ・テリングの冴えは,やはりこの作者ならではのものです。とくに「壁」を見ながら,奥へ奥へと主人公が進んでいくシーンの緊迫はすばらしいです。
オーガスト・ダーレス「サンドウィン館の怪」
 叔父の様子がおかしい…従兄からの呼び出しで“わたし”が遭遇した怪事件とは…
 この作者に対しては,神話ファンから毀誉褒貶ありますが,それがなんとなくわかる作品です。プロット,ストーリィは,H・P・ラヴクラフトのパ○リと言われても仕方のない類似性がありますが,ラヴクラフト特有の持って回った言い回しを押さえることで,物語にスピード感,臨場感を産み出すことに成功しています。いわゆる「神話の体系化」と同様,このことが神話の一般性・大衆性の獲得に功を奏したのではないでしょうか?(わ,なんかヒョーロン家みたい(^^ゞ)
クラーク・アシュトン・スミス「妖術師の帰還」
 『暗黒の祭祀 怪奇幻想の文学II』(新人物往来社)に「魔術師の復活」というタイトルで収録。感想文はそちらに。
オーガスト・ダーレス「丘の夜鷹」
 “わたし”は,失踪した変人の従兄を捜すうちに…
 「外側」の恐怖を描きながら,「内側」,つまり「自分自身」に対する恐怖とリンクさせるのは,H・P・Lの作品にもときおり見かけますが,そのモチーフに,サイコ・サスペンス小説的な風味を加えた作品です。今ではもうないであろう「共同電話」を巧みにストーリィ展開に組み込んでいます。
ハワード・フィリップス・ラヴクラフト「銀の鍵の門を越えて」
 “銀の鍵”により“門”を開けたランドルフ・カーターが見たものとは…
 この作品の基本的な結構は,オーソドクスな怪奇小説のそれを踏襲するものと言えましょう。つまり失踪した人物の奇怪な挿話,その挿話がフィクションではないことを匂わせる結末といった具合です。しかし本編で示されているのは,「怪奇小説」という括りで収まりきれない,ラヴクラフトのSF作家的な資質でしょう。たしかに採用されているアイテムは,魔術であり,魔法ではありますが,それによって導き出されている,時空連続体を超越する“世界”のイメージは,すぐれてSF的と呼べるのではないでしょうか。そして,その奔放とも言えるSF的イマジネーションこそが,「神話」の源泉になっているのでしょう。

04/05/30読了

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