清水義範『バスが来ない』徳間文庫 1997年

 いやいや,清水節を堪能させてもらいました。『茶色い部屋の謎』が少々期待はずれだったせいもあってか,本書は,じつに清水義範らしい作品集を読んだという気分になりました。10編よりなる短編集です。

「バスが来ない」
 こういった,日常のなにげない風景を,一種「重箱の隅をつつく」ような感じで,また屁理屈をこねていくように描いていくのは,この作者の十八番という感じです。オチも,それまでのグダグダ(つまらないグダグダじゃなくて,おもしろいグダグダ)との落差が効いていて,にやりとしました。
「私の利溺書」
 作者のあとがきによると,「功なり名をとげた人の自伝はこんなもの」とあり,もしかするとそのパスティーシュなのかもしれませんが,そういう自伝を読んだことがないので,いまいちピンときませんでした。でも,さもありなんという気にさせるところがうまいです。成功した人間は,なるたけ「偶然」という要素を排除したくなるものなのでしょう(「自分は成功するべくして成功した!」)。この作品,もしかすると,タイトルから先に思いついたのではないでしょうか?
「お通知表」
 思わず苦笑してしまうわたしは中年予備軍? アメリカでは,学生が教員を評価するというのが流行りのようです。
「マイルド・ライト・スペシャル」
 わたしも,最近肩身の狭い喫煙者ですが,さすがにここまでは,と思いつつ,近頃,夜11時に煙草の自販機が使えなくなってしまったので,多少,気持ちがわからなくはないような・・・。主人公が自分の行動をつねに「これがベストなんだ」と言い聞かせているところが,笑えます。筒井康隆の作品をソフトにした感じがしました。
「宗派不問」
 商売の対象にしていた人間の立場に自分が立たされたときというのは,なんとも奇妙な気分でしょうね。ワイド・ショーのレポーターも一度取材されてみればいいのではないかと,関係ないことを考えました。
「きぼこおたく」
 「きぼこ」とは「伝統こけし」のことだそうです。ここでの蘊蓄はどこまで本当なのでしょうか?
「戦慄の寒冷地獄」
 たしかに,異様に冷房の効いているところって,ありますよね。それをここまで大仰に,なおかつ恐怖小説風に書くと,ほとんど別世界のように思えてくるから不思議です。これも作者お得意の世界です。最後の一文が笑いました。
「祭りの夜」
 同じ作者だったのではないかと思いますが,似たような雰囲気の作品があったように思います。結局,「ある場面を描写する」ということは「別の場面を描写しない」ということなんですよね。
「ねぶこもち艶笑譚」
 たしかに民話とか昔話というのは,「擬音語」や「擬態語」が,本来たくさん使われていたんでしょうね。それはある意味で,ダジャレの源流のひとつなのかもしれません。ところで,男が夜に女を訪ねていって,母親と間違って×××してしまう話って,どこか(外国の古典?)にありませんでしたっけ?
「語り伝えの歴史」
 かつて日本では,「神話」が「歴史」のように語られた時代がありましたが,これは「歴史」を「神話」のように語ったもの。「歴史」と「神話」の区別は,「年号」が付いているかいないかだけだ,という話を思い出しました。

97/05/01読了

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