アイラ・レヴィン『ブラジルから来た少年』ハヤカワ文庫 1982年

 1970年9月,ブラジルのサン・パウロに集まった元ナチス党員に,これからの2年半で,世界各地に住む65歳の男94人を殺害しろという,奇怪な指令が下された。指令を発したのは,元ナチスの主任医師・メンゲレ博士。彼の意図は奈辺にあるのか? 一方,その情報を耳にした「戦犯情報センター」のリーベルマンは,その不可解さに疑問を覚えながら調査を始めるが,被害者の間に思わぬ「関係」を見出し…

 『死の接吻』『ローズマリーの赤ちゃん』と並ぶ,この作者の代表作のひとつです。
 初出が1976年,今から四半世紀も前ということもあり,本編で取り上げられている素材自体は,今の目から見ると,SFではけっして目新しいものではありません(もちろん発表当時は新鮮だったかもしれませんが)。またわたし自身も今回が再読です。にもかかわらず,おもしろく読めたのは,そのストーリィ・テリングの巧みさに,ほとほと感心したからです。

 上の梗概にも書きましたように,物語は,不可解な殺人指令から始まります。一見,何の共通点もなさそうな被害者たち−いずれも公務員や,それに近い「お堅い」職業の男でナチスとはほとんど関係がなさそう,おまけに年齢が65歳と,作中の言葉を借りれば「ほっといても遠からぬうちに自然死しそう」な人々です。そんな人々をなぜことさらに殺害しなければならないのか?という,強烈な「謎」が提示されます。しかしその一方,派遣された「暗殺者」たちは,冷酷かつ緻密な計画を立て,確実に被害者たちを,ひとりまたひとりと抹殺していきます。指令の奇怪さと実行方法のリアルさとが,言いしれぬ緊迫感をストーリィに与えています。
 かたや,その情報を知ったリーベルマンは,半信半疑の心持ちで調査を始めます。読者は,理由は不明ながら,計画が存在し,それが実行されつつあることは知っていますが,リーベルマンの鈍い対応に,焦燥感を覚えます。しかしリーベルマンと同様,大量殺人の理由を知りませんので,その焦燥感と相まって,ジリジリとしたサスペンスを感じるという効果を産み出しています。

 そして,真綿で首を絞めるような展開は,偶然のきっかけからリーベルマンが被害者同士の「共通点」を発見します。その時点から,物語は急速にテンポをあげていきます。その「共通点」が産み出された経緯が,前半の伏線と響きあいながら明らかにされ,さらにリーベルマンの「発見」は,メンゲレ博士の計画を窮地に陥れ,クライマクスへと雪崩れ込んでいきます。
 このあたり,メンゲレ博士の「狂気」を浮き彫りにさせながら,リーベルマンとメンゲレ博士の最終決戦へと導いていくストーリィ・テリングは絶妙です。まさにゆっくりゆっくりと頂上を目指していたジェットコースタが,一気に奈落へと滑り落ちていくような,そんなスピード感と痛快感があります。前半での比較的スロウ・ペースな展開とコントラストをなしているため,そのスピード感はよりいっそう高められています。

 昨今,はじめてのクローン人間(<ネタばれ)が誕生するというニュースが流れていますが,どうやらその背後には,カルトめいた「信念」が見え隠れしているように思います。最初に書いたように,フィクションの素材としてはすでに古いのかもしれませんが,本編で描かれた恐怖の核心は,不気味なほどの予言性を持っていると言えましょう。それゆえ,リーベルマンの最終的な「決断」は,今後,わたしたち自身に求められるものなのかもしれません。

02/12/18読了

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