戸梶圭太『赤い雨』幻冬舎文庫 2000年

 日本全土に降った赤い雨――それがすべてのはじまりだった。平凡な一般市民が,それまで不満を抱いていたヤクザや不良少年につぎつぎと襲いかかっていく。警察が見て見ぬふりをする中,事態は次第にエスカレート,私刑が横行する恐るべき状態へと突入していった。そして矢島志穂は,穏やかだった夫の変貌に恐怖をつのらせていく・・・

 もうずいぶん昔になりますが,小室孝太郎『ワースト』というマンガがありました。ある日降った雨の影響で,世界中の人間が「ワーストマン」に変身,残った僅かな人間に襲いかかり,人類は滅亡の淵に立たされるというSFホラーです。「雨」という平凡なもののために,人間が変身していくというストーリィは,子ども心に,むちゃくちゃ怖かった記憶があります。それは「見知ったもの」が突如「見知らぬもの」へと変わる恐ろしさという,ホラー作品でもしばしば取り上げられる,社会的動物としての人間の根元的な恐怖のひとつが描かれていたからかもしれません。

 さて本作品では,「赤い雨」(最初は薄い「ピンクの雨」なんですが)をきっかけとして,人間が,社会が少しずつ変化していく様を描き出しています。「ストレス社会」が「ヒステリー社会」へと変貌していくプロセスとも言えます。
 その変化は,たしかに「見知ったもの」が「見知らぬもの」へと変わっていくことです。たとえば主人公矢島志穂の夫・は,穏やかで,ちょっと醒めたところのある性格だったのですが,次第次第に攻撃的になり,血を見て興奮するようになり,ついにはみずからも殺人者へと変貌していきます。彼だけでなく,普段,道ですれ違う平凡な主婦や,行きつけの喫茶店のマスターなども,志穂の知らないヒステリックで冷酷な「正義の使徒」へと変わっていきます。志穂の視点を通して,その変貌をグロテスクに描き出されていきます。
 しかし,そうでありながら,この作品で登場する「見知らぬもの」は,本当に「見知らぬもの」なのか? という不安を,読者に与えます。作者は,現代日本のわたしたちが,意識的・無意識的に感じている不平不満を巧みに切り取ってみせています。それは公共の場所において自己中心的に振る舞う人々に対する嫌悪であり,将来がレールに敷かれているようでもあり,かといって,そのレールが最後まで続いているかどうか保証のないことに由来する不安感であり,さらには政治に対する失望,混乱や閉塞の原因を社会の「他者」に求める差別意識であったりします。
 つまり「見知ったもの」である日頃の不平不満の延長として「見知らぬもの」が立ち現れてくるわけです。それは同時に,自分自身が「見知らぬもの」へと変わるかもしれない,変わってもおかしくないという不安感を醸成させます。ここでは「見知ったもの」と「見知らぬもの」は対立する関係にあるのではなく,同じもののふたつの異なる「貌」として描き出されています。
 この作者の先行作品『レイミ―聖女再臨―』には,さまざまな酷薄で殺伐としたキャラクタが登場し,その人物造形が,物語に言いしれぬ緊迫感を与えていました。本編も同様のテイストを持ちながらも,「見知ったもの」と「見知らぬもの」とのあわいを不明瞭にすることで,連続的なものとして描き出すことで,その酷薄さ,殺伐さがもたらす恐怖を,より効果的にしているように思います。

00/10/16読了

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