山田正紀『火神(アグニ)を盗め』文春文庫 1983年

 「サラリーマンを甘く見るんじゃない。なにがプロだ。殺しに熟達しているからといって,しょせんスパイなんか滓だ。まっとうに生きているサラリーマンに勝てるはずがない。滓が,まっとうな人間に勝てるものか」(本書より)

 インド領内,中国との国境に近いヒマラヤ山中に建造された原子力発電所“アグニ”。極右集団“フラワーチルドレン”によって,“アグニ”に爆弾が仕掛けられていることを知った日本人技術者・工藤篤は,命を狙われることになる。が,いったん帰国した工藤は,爆弾を撤去することが,みずから生き残るための唯一の道だと知り,異常なまでに警戒厳重なアグニに潜入を試みる。数人の“サラリーマン”とともに・・・

 『50億ドルの遺産』に続いて,「山田正紀の初期冒険小説を10数年ぶりに再読シリーズ第2弾」です(笑)。
 アマチュアvsプロフェッショナルという設定は,冒険小説の定番のひとつで,『50億ドルの遺産』でも取り上げられていますが,この作品では,そのことをより鮮明に打ち出しているようです。むしろ「アマvsプロ」を作品のメインにすえているとさえ言えましょう。
 なにしろ,日本の平凡な(それも“無能”の烙印さえ押されている)サラリーマンが,狂的なまでに警戒厳重な原子力発電所に潜入しようとするですから,もうなんとも痛快です。そう,この原発,周囲を触圧反応装置で囲まれ,ドーベルマン付き鉄条網,熱廃水用水路にはワニが泳ぎ,対テロリスト・レーダーが原発をすっぽり覆っている,もうこれでもか,というくらい警戒厳重です。おまけに“フラワー・チルドレン”の冷酷無比な殺し屋“リリー”“ローズ”が彼らをつけ狙うという念の入れよう。「それらを突破していかに目的を達成するか?」が,この作品の中心的な眼目となります。その突破手段は,なかなか奇想天外で楽しめました。またラストのラストで明かされる,皮肉な,それでいて後味のいい“真相”にも爆笑させられます。

 もちろん,そんなウルトラ級難度の障害を,あの手この手で突破しようとするところが,この作品のとびきり面白いクライマックスではありますが,それとともに,それにいたる経緯,平凡な小市民である主人公たちが,なぜそんな危険を冒すのか? というところもまた,この作品の魅力のひとつでしょう。
 落語家になり損ねた桂正太,英語コンプレックスで影の薄い仙田徹三,女を口説くことに全精力を傾ける左文字公秀,いずれも企業社会の落ちこぼれ,お荷物社員です。彼らがなぜ,死ぬかもしれない危険な仕事に飛び込んでいくのか,そして生き延びるためとはいえ,彼らを巻き込むことに罪悪感に苛まれる工藤。プロであれば,それは「仕事」であり,逡巡も迷いもないのかもしれませんが,アマチュアであるがゆえに感じる苦悩や恐怖を,作者は丁寧に描き出していきます。読者としては,プロの鮮やかな“玄人技”を楽しむのも一興ですが,アマチュア集団だからこそ感情移入できる部分が多々ある,このような作品もやっぱり楽しいです。

 冒険小説というのは,一度読んでしまうと二度目はあまり読む気がしないのですが,内容をほとんど忘れていましたし,また,途中で思い出した部分もあるものの,作品のスピード感ある展開に乗っかって,最後までぐいぐいと読み進んでいけました。本作品は,やはりこの作者の初期代表作といえましょう。

98/07/04読了

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