若竹七海『八月の降霊会』角川文庫 2000年

 この感想文は,本作品の内容に深く触れているため,未読で先入観を持ちたくない方にとっては不適切なものになっています。ご注意ください。

 財閥水屋一族の変わり者・征児が,山中の別荘で催した降霊会。しかし招待された面々−作家とその秘書,詐欺師夫婦,霊媒師の母娘,有名百貨店の社長−は,互いに初対面の奇妙な組み合わせ。征児の意図は奈辺にあるのか? さらに20年前に山荘から姿を消した親子の行方は? そして1回目の降霊会直後,殺人事件が発生し・・・

 昨今,「ホラー」も「ミステリ」も言葉の意味としてはすごく拡散していますが,やはり両者の根本的な違いは「理外」をどのように扱うのかという方向性の違いにあると思います。
 「振り子」を比喩として用いますと,「ミステリ」とは「理外」に振れた振り子を,「理」の側に振り戻すというベクトルを持っています。たとえ,七面倒くさいトリックを使おうと,あざとい偶然の一致を登場させようと,最終的に振り子が「理」へと振られることで,「ミステリ」であることが保証されます。一方,「ホラー」は,最初は「理」に振られたとしても,最後には「理外」へと振り切られます。もちろん物語冒頭から「理外」へと振られた「ホラー」−「モンスタ・パニック」的な作品など−もありますが,それはあくまで物語作法上の違いです。
 つまり「ミステリ」と「ホラー」とでは,最終的な振り子の振られるベクトルが異なっているといえます。

 さて本編は,冒頭からホラー・テイストが横溢した作品です。降霊会の主宰者水屋征児のなにやら秘密めかした言動,一癖も二癖もある招待客,降霊会の席上で告げられる各人の後ろ暗い過去,20年前に山荘から姿を消した親子などなど・・・しかしその一方,作者は,持ち前の巧みな筆力で,登場するキャラクタ同士が,一見まったく関係なさそうに見えて,どこかで繋がっているのではないか,と思わせるような描写を随所に盛り込み,それが物語の舞台の背景になっていることを匂わせます。それらを二重三重に塗り込めながら,ひたすら混沌とした状況へとストーリィを展開させていきます。そしてそれは登場人物のひとり,作家の南澤秀子の「手記」が明らかにされるにおよんで,頂点に達します。
 けれどもその「理外」は,主人公のひとり渡部司によって,懸命に「理」へと戻されようとします。実際,中盤までに描き出された「理外」の一部は彼によって「理」へとたぐり寄せられます。しかし最終的に,本編における核心部分−20年前に姿を消した親子と降霊会を開いた征児の真意−は,「理外」へとふたたび振り戻されます。物語の中盤まで,「理外」と「理」との間で細かく振動していた振り子は,「手記」で大きく「理外」に振れ,司の推理によって「理」へと戻され,さらにより大きく「理外」へと振り切るというプロセスを取ります。
 この,「理外」に向かうのか,あるいは「理」におちるのか,という緊迫感を経たのちに,「手記」によって頂点に達した「理外」を「理」へと回収しようとする司の推理は,綿密な伏線とその回収といい,アクロバティックな展開といい,「ミステリ作家・若竹七海」の本領発揮とも言える部分でしょう。ですから,それをふたたび「理外」へと振り戻す展開は,「意外な真相」といえばそうもいえますが,それは(上に書いたような「ホラー」と「ミステリ」とがそれぞれに持つ)まったくベクトルの異なった方向だけに,かなりの戸惑いを感じてしまうのが正直なところです。

 同じ作者の『遺品』が,「理外」を「理」で追う,ホラー的な「謎」をミステリ的に追うというスタイルを採用することによって,ホラーとミステリの持つ本質的なベクトルの違いを上手に回避しているのに対し,本編は両者の違いが真っ正面からぶつかり合ってしまい,ミステリ的な秀逸さをホラー的要素が削いでしまっている結果になっているのではないでしょうか?
 ただフォロウしておきますと,キャラクタ設定とその描き方,安定したストーリィ・テリングは健在ですので,その点ではこの作者の力量が十分に味わえる作品となっています。

01/05/13読了

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