吉村昭『磔(はりつけ)』文春文庫 1987年

 この作者の初期の歴史小説5編を収録した短編集です。

「磔(はりつけ)」
 慶長元年の長崎,秀吉の命により,切支丹26人が磔刑に処せられた…
 あえて豊臣秀吉の判断の是非は問いますまい。なぜなら,当時のキリスト教の宣教師が,ヨーロッパ諸国の植民地支配の「先兵」としての役割を担っていたことは歴史的事実なのですから。しかし,その政治的判断がもたらした「悲惨さ」「酷さ」もまた同様に歴史的事実です。作者は,その悲劇を,さながら小さな石を積み上げるようにして描き出していきます。切り取られた左耳の傷の化膿,大坂から長崎まで歩かされたために血にまみれた裸足,寒さを遮ることのない薄着,汚れきった肌…そんな描写が,悲劇の具体性を生々しく浮かび上がらせます。それとともに,作者はまた,処刑執行者寺沢八三郎の目を通して「支配者の怯え」をも描き出しています。同情心ゆえに救命を求めた少年切支丹から拒絶,囚人たちとともに処刑を願い出る切支丹,処刑場を取り巻く祈りの声…その,ある種の狂気にも似た「信仰の姿」は,支配の原理とも言える「生殺与奪権の掌握」を,根本から否定するものなのでしょう。八三郎の「恐怖」に,秀吉が,そしてのちの徳川家康が感じ取っていたものを重ねてみてしまうのは,うがちすぎでしょうか? いま長崎には「日本二十六聖人殉教碑」が建てられています。
「三色旗」
 祖国崩壊の報に沈む長崎オランダ出島に,三色旗を掲げた異国船来航の知らせが…
 オランダ船を偽り,商館員を拉致,さらに攻撃をちらつかせながらイギリス船が水・食糧を要求した,文化5年(1808)の「フェートン号事件」を描いた作品です。背景には,ナポレオン戦争によるオランダ崩壊,フランス・オランダ・イギリスの対立といった,ヨーロッパ情勢があります。いわば「鎖国日本」が,否応もなくヨーロッパを中心とした「国際社会」に直面しなければならないことを告げる象徴的な事件と言えましょう。その渦中,長い「日本」とのつき合いを糧にして事件を乗り切ろうとする出島商館長ドウフ,無法なイギリス船に誇りを傷つけられながらも,十分な軍備を欠いたため切歯扼腕する長崎奉行松平康平の姿を,生き生きと描き出しています。とくに出島を,商館員を,そして祖国オランダを守るため,しぶとく,したたかに「闘う」ドウフの姿がじつに印象的です。
「コロリ」
 明治10年,コレラが猛威を振るう中,千葉の医師・沼野玄昌は奔走するが…
 教科書や年表では,1868年から「明治時代」がはじまります。しかし,そんな「区切り」によって,生活や考え方が一夜にして変わるわけではないことを,昭和から平成,20世紀から21世紀をまたぎ越えて生きるわたしたちは,十二分に知っています。だから,沼野玄昌を惨殺した人々を,無知蒙昧と嘲ることは,「歴史の後知恵」なのでしょう(もちろん原因のひとつに,玄昌の激烈な性格によるところもあったのでしょう)。それと哀れなのが,玄昌に命じられ遺体を発掘し,罰せられた与右衛門です。「主犯」が無罪なのに,「従犯」が有罪というのは,やはり判決としては首を傾げます。そこに思い至らず,与右衛門への配慮の足りない玄昌の独善性も,悲劇の遠因なのだと思います。
「動く牙」
 水戸に挙兵した天狗党が接近中…それを知った大野藩は…
 のちに『天狗争乱』として上梓される長編の「原型」となった作品。印象に残るのが,不確かな情報に基づく「天狗党」の影に,怯え,ヒステリックとなり,混乱する大野藩の対応でしょう。とくに,民間商人布川源兵衛に,「藩とは一切関係ない」と確約させた上で,天狗党との交渉を任せる藩首脳部の陰険さ,無力さが,「武士の時代」の終焉を予言しているようです。同様に,礼儀を尽くした天狗党の降伏に対して,あまりに苛酷な幕府(それは一橋慶喜とほぼ同義です)の対応もまた,幕府の信望の下落をも象徴しているのでしょう(なお本編については,この作者のエッセイ集『歴史の影絵』の感想文でも触れています)。
「洋船建造」
 条約締結のため下田に寄港したロシア船。だが安政大地震が彼らの運命を狂わせる…
 本編を読んで,まず思ったのは,「歴史には偶然が大きく作用する場合があるのだな」ということです。幕末,幕府が欧米各国と条約を結んだのは,必然とも言える結果ですし,そのひとつにロシアが入っていたのも当然のことです。しかし,そのロシア船を大地震が襲うというのは,偶然以外の何ものでもないでしょう。そしてその偶然は,日本初の本格洋式船建造へと繋がっていくことを思うと,歴史の奇妙さを思わずにはいられません。そしてもうひとつ思ったのは,歴史の大部分が,たとえ「情」の入る余地のない「力」のせめぎ合いや,経済原理によって動いているとしても,その中で,人間の「情」の持つ価値が失われるものではない,ということです。日露(あるいは日ソ)関係は,けっして平坦な道のりではなかったことは知っていますが,船を失い,望郷の念にかられるロシア人に対する日本人の同情と好意は,日本とか,ロシアとかいった国を越えたものとして現れています。そこには,上記『歴史の影絵』で取り上げられていた「ロシア人の墓」に通じる,人間としてのバランス感覚の大事さを伝えているように思います。

03/12/14読了

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