芦奈野ひとし『ヨコハマ買い出し紀行』11巻 講談社 2004年
「懐かしい過去」のような世界を舞台にした「SF」の第11集です。今回は,その「SF」であることを,改めて指摘するセリフが出てきました。
「カフェ・アルファ」を訪れた丸子さんのアルファに対する一言。
「食費が低い事にあぐらかいて,だらーっと生きてるロボット見ると,私ちょっとムッとくるんだよね」
おそらく作者としては,登場人物たちのキャラクタのコントラストをきわだたせるために,このシーンを描いたのでしょうし(「ムッとくるんだよね」にあるように),またこの言葉に対してアルファなりの「反論」があるわけですが,個人的に「どきり」としたのは「食費の低いロボット」というところ。
そうなのです。アルファの平穏でのんびりとした生活とは,彼女がロボットであるがゆえに成り立っているのです。「人間」は,日々,「食べる」ために仕事をしなければなりません(もちろん仕事の目的はそれだけではありませんが)。そのための仕事をしないで済むのは,経済的な保証がある人々だけです。しかしアルファの生活の保証は,彼女がロボットであるというSF的設定によってなされているわけです。
つまり,この作品の「世界」が「懐かしい過去」に近似しながらも,じつは,その根幹にある設定によって,わたしたちの生活からは「遠く離れたもの」=非日常であることを,この一言は示しているわけです。
SFが「非日常」を描くのはあたりまえの話なのですが,「日常(の近似値)」を描きながら,今回のように,本編があらためて「非日常」=SFであることを気づかされると,その「日常(の近似値)」に「懐かしさ」を感じているがゆえに,そのことはひどく哀しくせつない気持ちにさせられます。いや,だからといって,この作品が嫌いになるとか,イヤになるとかいったわけではないんですがね。
そんなアルファ=ロボットと関連して,印象的なのが,本集冒頭に掲載されている「第100話 ふたり」。カフェ再建のために木材を探すアルファが,自動販売機から飲み物を買う,という,それだけのエピソードなのですが,ふと「なぜにタイトルが「ふたり」なの?」と思いました。
つらつらと考えてみると,アルファが「動いている自動販売機」を見つけたときに,ひどく驚いた表情を浮かべているのは,その(生きている)自動販売機に,ロボットとしての自分がシンパシィを感じているのでは,ということ。つまり「ふたり」とは自動販売機とアルファという「ふたり」のロボットのことなのかな,と思った次第です。
さらに彼女がロボットであることを(間接的に?)描いているのが,本集末尾の2編です。子どもだったタカヒロが,仕事のために「西の方」へ旅立っていくというエピソードで,「第109話 潮端(しょんばた)の子」では,彼とアルファとの別れを,「第110話 ふたりの船」では,幼なじみのマッキとの別れを描いています。
ここで思い出されるのが,6巻に出てきたアルファのセリフです。
「マッキちゃんはタカヒロと時間も体もいっしょの船に乗ってる。私は みんなの船を岸で見てるだけかも しれない」
かつて,アルファより身長の低かった少年は,いつか彼女を追い越し,そして旅立っていく,少年の膝の上で眠った少女もまた手足が伸びていく…少年と少女は,同じ「船」に乗っていても,アルファだけは「岸」で見ているだけ…以前,言葉にすることで「わかった」気になっていたアルファが,それを「現実」として経験しなければならない本エピソードは,「別れるせつなさ」という誰しもが感じるであろう感情と共鳴しながらも,SFならではのテイストを持っていると言えましょう。
このほか,「第103話 崖の水」に登場する「白いキノコ?みたいなの」は,2巻「第21話 水神さま」に出てきた「水神さま」や,本巻「第106話 道と町と住人」の「白いビル」などとリンクしそうで,おもしろいのですが,まだまだ謎めいていますので,今後のお楽しみといったところでしょう。
04/04/08