芦奈野ひとし『ヨコハマ買い出し紀行』1〜10巻 講談社 1995〜2003年

 「私は多分この黄昏の世をずっと見ていくんだと思う」(1巻 アルファのセリフ)

 地球温暖化のため,地上がしだいに海に覆われつつある近未来。“西の岬”で,小さな喫茶店“カフェ・アルファ”を営むアルファさん−ガソリン・スタンドのおじさんや,その孫のタカヒロ,彼のガールフレンド・マッキたちに囲まれて,平和で暖かな毎日を送る彼女は,じつは“ロボットの人”なのでした…

 この作品は,わたし,掲載誌の『アフタヌーン』で,途中から読み始めました。ですから,タイトルに「ヨコハマ」を冠しながら,なんでヨコハマが出てこないのだろう?と不思議に思いつつも,いわゆる「ほのぼの日常系マンガ」として楽しんでいたのですが,あるとき,主人公のアルファが「ロボット」であるということを知り,びっくりしてしまいました。
 そこで書店から10巻までまとめ買い(一作品をこんなにまとめて買ったのは,じつに久しぶりです)。まず1巻を読んで,「ヨコハマ」の謎(?)は氷解しました。最初は読み切り短編だったんですね,アルファさんがヨコハマに買い出しに行く,というタイトルそのものの。それにしても10年近く前の短編のタイトルが,いまにいたるまで引き継がれるとは,作者にとっても予想外だったのではないかと思います(笑)

 さて10巻を通読して(といっても,まだ完結してませんが)思ったことは,この作品がまごうことなく「SF」だということです。
 まずシチュエーション。梗概にも記しましたように,舞台は「未来」ですが,未来でありながら,そこで描かれる世界は,むしろ「懐かしい光景」です。水面上昇により,日本は小さな「国」に分断され,人々の生活圏,活動圏は,縮小しています。それゆえに,生活スタイルは,かつての(たとえば昭和30〜40年代の)雰囲気に近いものが感じられます。「懐かしい風景としての未来」を,作者は柔らかなタッチで見事に描き出しています(で,ふと連想したのが『クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ モーレツ! オトナ帝国の逆襲』でした。敵役であるケン&チャコが作り出した「過去の街」がつねに「黄昏」であるという設定は,どこか冒頭の引用と響き合うものがあるように感じられます)。
 そして主人公のアルファがロボットであるということ。この,きわめて人間ナイズされたロボットであるアルファは,いまだ正体の知れないオーナーから,“カフェ・アルファ”を譲り受け,経営していきますが,彼女が「それ以前」に何をしていたか不明ですし,また彼女自身の「記憶」にも残っていないようです。それゆえに,彼女が「体験」することは,子どものように初々しいく新鮮です。同時に彼女はまた,人間で言えば「大人」としての感覚もしっかり身につけているため,その「体験」を楽しみながらも,一歩引いた,相対化する視線をも持ち合わせています。それゆえに彼女の「体験」は,読者にとっても了解可能なクリアなものとして感じられます。

 またアルファがロボットである,つまり「加齢しない」ということは,作品全体に,どこかせつないものを与えることになっています。それを効果的に描き出しているのが,タカヒロマッキの存在です。アルファが好きなタカヒロ(年上の女性対する憧れ)に対して,マッキがヤキモチを焼く場面で,アルファは彼女に言います。
 「マッキちゃんはタカヒロと時間も体もいっしょの船に乗ってる。私は みんなの船を岸で見てるだけかも しれない」
 つまりアルファとは「永遠の傍観者」なわけです(そのことは,アルファー室長−空を飛び続ける飛行機に乗り,水に覆われていく陸上を,見ることしかできない,「もうひとりのアルファ」に通じるものがあります。このアルファー室長とアルファとの関係も,気になるところです)。しかし同時に,タカヒロとマッキの存在は,「黄昏ていく人類」というもの悲しい基本設定の中で,「希望」とも言える役割を果たしているように思います。年を取らないアルファさんに対して,ふたりは確実に成長していきます(成長したふたりを「見失う」ミサゴの描写は秀逸)。たとえ人類が衰退の歴史をたどることが避けえなくても,たとえそんな時代であったとしても,子どもたちは成長し,みずからの未来を切り開いていく,そんな力強さが感じられます。

 それと忘れてならないのが,ココネ子海石先生です。アルファが「現在」と「未来」へのベクトルが強いキャラなのに対し,ココネは,どちらかという「過去」へのベクトルを内包したキャラで,自分とアルファさんの「出生」に関心を寄せます。また子海石先生は,アルファやココネ,つまりA7型ロボットの開発に,少し関わっているようで,また空の上のアルファー室長とも,なにやら関係がありそうです。
 そんな探索の過程で,ココネは自分たちを「私たち 音やにおいで できているんですよ」「私たち 人の子なんですよ」と認識します。いわばそれは,人間でいうアイデンティティの確認作業とも言えます。つまり,アルファの,つねに「世界」を新鮮なものとして感じる感覚と,ココネのアイデンティティ確認とが,セットになることで,「人類の黄昏」の中,「自分の道」を歩き始めるアルファやココネたちの姿が,より立体的に浮かび上がっているように思います。
 そして,このようなアルファやココネたちの言動は,多くの人が経験する(した)「青春」の姿と重なり合い,SFでありながらも,わたしたちにとって近しいものがあるように思います。その親近感が,この作品の魅力のひとつになっているのでしょう。

 ところで,感想文の中にうまく織り込めなかったので触れませんでしたが,全国を流浪するアヤセ…こういったライフ・スタイルに対する憧れは,今でも心のどこかに残っています。

03/05/29

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