高橋留美子『人魚の傷 人魚シリーズ2』小学館 2003年

 「おれたちみたいのが,いちいち人を好きになってちゃ,たまらねえじゃねえか…」(本書「人魚の傷」 真人のセリフ)

 『人魚の森』に続く,新装版「人魚シリーズ」の第2集です。3つのエピソードを収録しています。

「夢の終わり」
 奥深い山中で遭難死した湧太と真魚。湧太が蘇ったとき,真魚の姿はなかった。彼を助けた猟師によれば,彼女は“大眼(おおまなこ)”と呼ばれる化け物に連れ去られたのではないかという…
 本シリーズでは,人魚の肉は猛毒であり,食したものの大半は死んでしまい,不老不死になるのはほんの一握り,また中には,不老不死であっても人の心を失ったモンスタ“なりそこない”になる者もいる,と設定されています。これまで“なりそこない”は,湧太真魚を危機に陥れる存在としてのみ登場していましたが,本編では,その“なりそこない”=“大眼”が主人公として登場します。人の心を完全に失っていない“彼”の辿る運命は,いわゆる「フランケンシュタインの怪物の哀しみ」に通じるものがあるといえましょう。ところで,真魚が川に入ってオールヌードで身体を洗うシーンの次ページで,胡座かいて肉をむさぼり食う(笑)彼女の姿を挿入しているところに,この作者の,キャラクタの描き方の上手さを感じましたね。
「約束の明日」
 かつて湧太が心ならずも別れた少女・苗。60年ぶりにその地を再訪した彼が見たのは,その頃と寸分違わない彼女の姿だった。そして妄執に取り憑かれた男の魔手が,湧太と真魚に迫る…
 人魚の肉は,それを食した者の運命だけでなく,それを取り巻く人々の人生をも,大きく狂わせてしまうのでしょう。「婚約者に去られた男」という,普通の世界では回復可能な痛手も,「人魚の肉」がそこに介在することで,おぞましい妄執へと転化していったのかもしれません。そう考えると,本編の「悪役」である英二郎も,その行為の酷さはともかく,どこか哀れさを誘います。もちろん一番哀れなのは,彼の妄執に振り回されるなのですが,そんな中で,彼女がリップスティックを手にとって見せた笑顔−「きれい…湧太さん,気にいるかしら」−が,すごく印象に残りました(それを見て不満そうな真魚の表情もグッドです)。ところで本編に出てくる「比丘尼伝説」,元ネタは「六部殺しのフォークロア」だと思うのですが,「裏伝説」なんて言われると,やや浅薄な感じがしちゃいますね。
「人魚の傷」
 母親を訪ねに行く少年に出会った湧太と真魚。しかし2年後,その母親が少年を殺そうとする場面に,ふたりは遭遇する。親子にいったい何があったのか? そして母親の,少年の“正体”とは?
 不老不死者は,「普通の人間」と長い交際をすることができません。それゆえの別離の哀しさは,「闘魚の里」や,前作「約束の明日」で描かれています。しかし成人であれば,悲しくはあっても,そういった選択肢がありえますが,不死者が「子ども」である場合,たとえ形だけであっても「親の保護」がなければ,世の中を渡っていくことはきわめて困難でしょう(働いて自活することもできませんし,「成長しない」ことがあからさまにわかってしまいますからね)。本編で登場する「800歳」の少年真人の偽りのあどけなさと隠された冷酷さもまた,「他者(=偽りの母親)と関わりを持たざるを得ない不死者」が身につけざるをえなかった処世術なのかもしれません。冒頭で引用した真人のセリフとは,その処世術が導き出した悲しい結論なのでしょう。

03/11/23

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