熊倉隆敏『もっけ』3巻 講談社 2004年

 6編のエピソードを収録したシリーズ第3集です。

「#13 マジモノ」
 瑞生がよく通る橋に,奇妙な“モノ”が現れ…
 なんといっても良いのが,橋の欄干に並ぶ物の怪の顔の造形でしょう。眉があり,目があり,口がある,と,たしかに「人間の顔」でありながら,しかし「人間」とは決定的な異質性を持った「顔」。そのギャップが,ラストで開かされる物の怪の「正体」を,じつにうまくフィットしています。また作中での瑞生のセリフ「ちょっと制限なのに,何かすごく不便な気がする」は,「憑きやすい体質」という彼女の置かれたスタンスを,上手に表現していますね。
「#14 イナバヤマ」
 飼い猫の“三毛さん”を探しに,山に入った静琉が出会ったのは…
 「猫は人に死に際を見せない」と「年取った猫はシッポが二股になり化ける(いわゆる「猫又」)」という,猫に関わる伝承をふたつミックスさせた作品です。「異界の住人」としての三毛さん「大切だ」という静琉,それに対して「妬ましい」と告げる猫又…本シリーズにおける「人間」と「物の怪」との関係の基調を描いているように思えます。ラストの,なんでも知っていそうで,なにも知らぬ気な三毛さんの自然な顔つきが好きです。
「#15 ウシロガミ」
 知り合いのお姉さんに,ドライブに誘われた瑞生は…
 2巻「#7 モクリコクリ」に出てきた「護法」の再登場です。やっぱり「組長の娘さんをガードするヤクザもん」といった感じですよね(笑) ストーリィ的には,ちょっと起伏に乏しいところがありますが,前掲「マジモノ」に通じる,瑞生の「せつなさ」が伝わってくるエピソードです。ところで,この舞台のモデルとなった(らしい)現代美術のテーマパーク,テレビで見たことがあるような…
「#16 マメオトコ」
 静琉が気になって仕方がない少年の前に現れたモノとは…
 巻末,物の怪の正体を知って脱力している静琉の姿が笑えます。まぁねぇ,中学生くらいの男の子には,大なり小なり,こんなモノが憑いていてもおかしくありませんよねぇ(笑) ほら,あなたも思い当たる節があるんじゃないですか?(と,他人を巻き込む(^^ゞ)
「#17 ケサランパサラン」
 瑞生が拾った“ケサランパサラン”…彼女にそれにまつわる,ある思い出が…
 「現実に対処する能力」というのは,たしかに生きていく上で必要なものですが,その「現実」なるものが人によって違う場合,その求められる「能力」もまた,人それぞれなのかもしれません。瑞生をめぐって,お爺ちゃんと母親との決定的な齟齬は,メタファとして読むと,どこにでもありそうな気がします。それでも,母親の来訪を「いいこと」として喜ぶ瑞生の姿には,ホッと胸をなでおろされるものがあります。「ケサランパサラン」…昔の「超自然もの」のテレビ番組ではよく出てきましたが,最近はとんと登場しませんねぇ…こういった「無害な不思議」を愛でる気持ちが失われているのかも?
「#18 ダイマナコ」
 年末年始,恒例のようにさまざまな物の怪たちが村を訪れるが…
 本編を読んで,大野安之の幻の佳品,少年画報社版の『ゆめのかよいじ』を思い出しました。物の怪というものが,一方で確実に存在しながらも,同時に,人の心,人の記憶と結びついた,はかなく移ろいやすいものである,という設定は,どこかわたしの心の琴線に触れるものがあるようです。もしかすると,それは「人自身」のありようの写し鏡だからなのかもしれません。つまり,厄神にさえも哀愁を憶えてしまうのは,わたしたちの心がたどり着いてしまった「場所」の孤独さを感じるからなのかもしれません。

04/06/05

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