熊倉隆敏『もっけ』2巻 講談社 2003年

 「今度の件ってさ,前のを経験したから−知ってたから,対処できたんだよ? 私達は私達なりに成長してるよ」(本書「#9 ミコシ」より 静流のセリフ)

 “見える”体質の姉静流と,“憑かれやすい”体質の妹瑞生,“拝み屋”の祖父…3人をメインとしたシリーズの第2巻。6つのエピソードを収録しています。

「#7 モクリコクリ」
 モクリコクリから,失くした小刀を探してほしいと頼まれた静流は…
 今でも言うのかどうか知りませんが,子どもの頃,蛇の脱皮した抜け殻をお財布に入れておくと,お金が増えると聞きました。「蛇の脱皮」とは,ひとつの「生」が生まれ変わるという吉祥のひとつで,古い「皮」を脱ぎ捨てることは,「再生」「豊饒」のメタファとなっているからでしょう。本編でのモクリコクリが「剥ぐ皮」とは,残酷のようでいて,一方でそういった「再生」を意味するのかもしれません。ところで,静流が連れて行かれる「お祭り」に集まった「もっけ」たち,なんか,ユーモラスな感じのが多いですね。あと静流にくっついてきた「護法」の造形に笑っちゃいました。
「#8 シロウネリ」
 強風に運ばれてきた古タオル。瑞生は“それ”にまとわりつかれ…
 気にすれば寄ってくるけど,気にしなければ離れていく…もののけというのは,そんなものなのでしょう。なんてことのない話といえば,それまでなんですが(^^ゞ
「#9 ミコシ」
 みずからの「力」に気づき始めた頃,静流と瑞生は「ミコシ」と遭遇し…
 最近,「性格は変えられないけれど,行動は変えられる」という言葉を耳にしました。自分の性格−長所も欠点も含めた性格に折り合いをつけながら,社会生活を送っていくこと,それが「大人になる」ということなのかもしれません。「もっけ」とコミュニケートするという,ある意味「特異体質」を,好むと好まざるとに関わらず持ってしまった静流と瑞生にとっても,それと折り合いながら,彼女たち自身の生を歩んで行かねばならないのでしょう。
「#10 バタバタ」
 柔道をやっている幼なじみの薫の家を訪れた静流は…
 「下手の横好き」という言葉は,みずからの力量を謙遜するときにはよく使いますが,もし自分以外に対して用いたら,それは悪口となります。それゆえに,謙遜ではなく,自分自身が「下手の横好き」であると自覚することはつらいものがあります。「好きである」ことと「得意である」ことの乖離を,人は否応もなく知らねばならなくときがあるようです。
「#11 クダンノコト」
 オカルト好きのクラスメイトが「クダン」のお札を持ってくるが…
 しばしば,子どもが自殺した事件が報じられる際,その子どもは,それ以前に何らかの「サイン」を出しているはずだ,と言われます。これは社会においても同じなのかもしれません。明示化されない,あるいは明示化してはいけないとされている願望や不安を,人はそれをさまざまな「比喩」や「象徴」として表す場合があります。「クダン」は,まさにそんなものなのでしょう。しかし,そんな「比喩」「象徴」を,「サイン」として見ず,「商品」として,「流行」として消費してしまう現代は,もしかすると,社会としてとても鈍感で脆弱なのかもしれません。ちなみに作中で触れられている小松左京の作品とは,もちろん「くだんのはは」のことです。
「#12 ヒョウタンナマズ」
 瑞生が出逢った奇妙な老人・伊福部。彼の持っていた瓢箪をのぞいたことから…
 突き詰めて考えると,根拠の曖昧なものや不明なことというのは,人の世には山ほどあるのでしょう。それらを突き詰めることも,あるいはまた,登場人物の伊福部のように,根拠不在ゆえに無視するのも,どちらも人並みはずれたパワーが必要なのだと思います。「瓢箪鯰」は,そんなパワーを持続できない多くの庶民にとっての,いわば「方便」のようなものなのかもしれません。

03/04/19

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