岡崎二郎『緑の黙示録』講談社 2003年

 山之辺美由は,木の“声”を聞くことができる女子高生。その特殊能力ゆえに,さまざまな奇妙な事件に巻き込まれることになり…

 この作家さん,小学館以外の出版社では,はじめてではないでしょうか? 活躍の場が,よりいっそう広がってもらえれば,と思います。

 さて特殊能力を持った美由を主人公としたエピソード4編よりなる本シリーズは,「意志を持った植物」が,メイン・モチーフとなっています。ですが,わたしの貧弱なSF経験(とホラー嗜好)によれば,こういった「意志を持つ植物」というモチーフ,さらには「植物の叛乱」というと,つい『トリフィド時代』(ジョン・ウィンダム)のような,いわば「動物化した植物」を,ついイメージしちゃいます。
 しかしこの作者は,植物のフィトンチッドが,人間に害を与えるという事態を作り出します。森林浴ブームで,一般に知られるようになった植物が通常放出している物質です。つまり「動物化」という,植物の本質をまったく変えるような変質を施すのではなく,植物が本来的に持っている性質を肥大化・極端化させることによって,「反乱」を作り出しているわけです(作中で新田次郎『アラスカ物語』中のエピソード−イヌイットがはじめて森林地帯に入ったとき体調を崩す−が紹介されています。『アラスカ物語』を読んだとき,「ふ〜ん,こんなことがあるのか」と印象深いものでしたが,このようにフィトンチッドと絡めて説明されると納得できます)。
 このことは主人公の持つ能力−植物とのコミュニケーション能力−や,最後のエピソードで出てくる根を通じての植物同士のネットワークなどについても同様のことが言えます。これらも,いずれも(けっして一般的というわけではないにしろ)ときおり観察される事象であり,それを極端化することで,ひとつのSF的な状況を作り出していきます。
 SF的想像力には,異質なもの同士,あるいは一見異なるけれどじつは類似点を持つもの同士を結びつけることで,驚きをもたらすもの(たとえば中国古代の呪法蠱毒と生物兵器を結びつけた星野之宣『コドク・エクスペリメント』など)と,平凡で日常的な事象を「起点」として,それを肥大化・暴走化させることで尋常ならざるシチュエーションを作り出していくもの(筒井康隆の作品によく見られますね)とが,あるように思います。
 そういった意味で,この作品は,後者に当たるのでしょう。その点,この作者の「センス・オブ・ワンダー」の「質」を考える上で興味深いものでありますが,それとともに,このような手法は,SFの文明批評的特質をよく表しているようにも思います。つまり,わたしたちが普段なにげなく送っている「見慣れた日常」,しかしそこには,なにかをきっかけとして異形化してしまう「因子」が常に隠されているということを,改めて気づかせてくれるからです。
 植物が「反乱」を起こすとき−それは,人間を含む動物たちと「同じ地平」に立ってのそれではなく,動物とはまったく次元を異にするアプローチによるものではないか,そんな気持ちにさせられる作品です。

 ところで,本作品には互いに繋がりあう4編のエピソードが収録されていますが,植物の特性を用いた殺人事件を描く「第1話 ウパス」が,ストーリィ的には一番すっきりとまとまっているように思います(まぁ,わたしがミステリ者のせいもあるかもしれませんが^^;;)。『月刊アフタヌーン』初登場ということもあって,このエピソードで読者の反響を見た上で,その後の展開が決められたのではないか,そんな邪推をしてしまいました(笑)

03/06/20

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