吉田秋生『ラヴァーズ・キス』小学館文庫 1999年

※この感想文は,本編の技巧的な側面に重点を置いた感想文であり,本編のごく限られた側面を取り上げた「暫定版」だということをご了解ください。

 鎌倉の高校生川奈里伽子と,藤井朋章のラヴ・ストーリィを軸としながら,彼らの友人たちの間で繰り広げられる恋愛模様を描いた作品です・・・・なんて書くと,一昔前の「トレンディ・ドラマ」みたいな感じですが,まぁ,とりあえずはそんな風に紹介しておきます。

 じつに精緻に構成された物語です。
 作者は,一本のストーリィを3つに分割しています。「boy meets girl」とサブ・タイトルの付けられた「vol.I」「II」では,里伽子と朋章の出会いと別れが描かれます。そして「boy meets boy」の「vol.III」「IV」では,朋章の後輩で,知らず知らずのうちに彼に魅かれる鷺沢太夫と,一見能天気な関西系に見えるオオサカこと緒方篤志のストーリィが,また「girl meets girl」の「vol.V」「VI」は,里伽子に反感を持つ彼女の妹依里子と,里伽子の親友美樹との物語(「V」「VI」)です。
 この3つの物語は,ある年の冬(早春?)から夏まで,時間的に並行しており,それぞれで同じエピソードが繰り返し描かれます。しかし,それはそれぞれの物語の視点によって異なる意味合い,色合いが与えられます。たとえば「I」の終盤で,里伽子が鷺沢に,朋章のバイト先を尋ねるシーンがあります。それは「I」のラスト・シーン,「もう二度とだれかに恋することなどないと思ってた。今日この時までは」という里伽子のモノローグへとつながる,彼女の心の動きを示すシーンです。ところで,里伽子の問いに対して,鷺沢は「知りません」と答えるのですが,じつは鷺沢は朋章のバイト先を知っていたことが,「III」において明らかにされます。つまり,朋章に(この段階ではいまだ明確な自覚のないまま)恋心を寄せる鷺沢は,里伽子に対する反発から「知りません」と答えるのです。
 このような,ひとつの出来事に対する複数の視点を提示する手法は,たしかに1本のストーリィでも,けして描けないわけではありませんが,作者は,ストーリィの流れを分割することにより,「I」「II」における里伽子の心の流れ,「III」「IV」における鷺沢の心の流れを寸断,停滞させることなく描き出すことに成功しているように思います。
 また1本のストーリィで複数の恋愛関係を描かれる場合,どうしてもそこに「メイン」と「サブ」という差が生じてしまいます。それは異性間恋愛か同性愛か,という差異によるものではなく,メインとなる恋愛関係(の行方)=主人公の恋愛関係と,サブのそれ=脇役の恋愛関係を作った方が,ストーリィ展開としてもメリハリがつきますし,読者の側としても読みやすいと思います。ですが,その結果として,サブの恋愛関係のせつなさや想いの深さは,メインにくらべるとどうしても脇にやられるという部分が生じてしまうの仕方ないことでしょう。しかし作者は,ストーリィを3分割することにより,3つの恋愛関係を同じ地平でバランスよく描き出しています。
 さらに,同じ手法を用いながら,さまざなシーンを多視点的に描き出すことで,心のすれ違いや想いの深さをも切り取って見せています。おそらくそのもっとも効果的なシーンは,「II」と「IV」のエンディングを重ね合わせ,また朋章に「幸せかどうかなんて,本人にしかわかんねーよ」と語らせているところではないでしょうか。

 この作者は『BANANA FISH』『吉祥天女』といった長編が有名ですが,それとともにすぐれた短編作家でもあります。この作品は,その短編作家的な才能を,きわめて技巧的に用いながら構築した物語なのではないかと思います。

99/08/28(暫定版)

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