岡崎二郎『国立博物館物語』3巻 小学館 1999年

 てっきり前巻で終わりかと思っていたので,「やれうれしや」の3巻です。といっても,この巻でほんとうに完結です。やはりラストは,この作品のメイン・キャラクタ(?)“スーパーE”ネタ―“スーパーE”が,人類の行く末をシミュレートするという「人類の行方 前・中・後編」です。
 ただし,このファイナル・エピソードにいたるまでに,「伏線」が引かれています。前巻の最後の話「恐竜最後の日」で,もし恐竜が滅亡しなかったら,という想定でスーパーEがシミュレートしましたが,今度は,それを押し進めて,進化した末に「恐竜人類」が生まれるという「恐竜人類 前・中・後編」です(この「恐竜人類」というネタ,もうずいぶん昔にマンガ雑誌のグラビアで見たことがあるように思うのですが,あれはいったいなんだったのだろう・・・(°°))。
 さて,このエピソードでは,「冬眠」「卵生」という爬虫類の形質を残したままに,恐竜が進化するという設定になっていますが,文明を発達させた「恐竜人類」は,「セントラル・ヒーティング」によって冬を眠らずに過ごせるようになります(その「セントラル・ヒーティング」の形はどうしても原子力発電所を連想させます)。しかしそれとともに,恐竜人類たちの生理に異変が生じはじめて・・・という内容。このエピソードの直前に配された「生殖異常」で,現在,問題になっている「環境ホルモン」が取り上げられています。「文化」「文明」の発達がもたらした生理的な危機―この「恐竜人類」が直面する危機は,現代のわたしたちのアナロジィになっていると言えましょう。
 作者は作品の最後で,この「本能と文化の相克」について,ひとつの「答」を描き出します。それが“スーパーE”がシミュレートした「人類の行方」です。“スーパーE”は,人類が滅亡したのちの,ふたつの「未来」を提示します。
 ひとつの「未来」では,人類のあと,地球上に君臨するのは昆虫です。彼らは「本能」にもとづき社会を構築します。「恐竜人類」で描かれた「本能と文化の相克」のひとつの結果として,「本能」が勝利した世界です。
 もうひとつは,人類滅亡後,人類の「心」を受け継いだコンピュータが地球外へと進出する世界です。「本能」から自由になることによって人類が手に入れた「文化」,それを受け継ぐことを,自然界における「種の存続」と同じように扱っています。主人公の森高弥生(作者)は,この人類からコンピュータへの転換を「心の系統」と呼びます(作中人物が言っているように,じつに素敵な表現ですね)。
 この作品では,一方で,「自然(=本能)」のさまざまな「顔」を描き出し,その一方で,“スーパーE”という「文化」の到達点を描いています。作者は,両者を単なる「対立」図式にあてはめることなく,人類からコンピュータへの「心の系統」を,ひとつの大きな「生命史」としてとらえることで,「本能と文化の相克」の止揚させ,感動的なエンディングを描き出しています。
 人類は「本能の壊れた動物」(同族殺し,留まることのない飽食,受精を目的としないセックスなどなど)と呼ばれることがあります。しかし,本書で言うように,それはまた「本能」からの「自由」とも言えるのかもしれません。ならばその「文化」を後世に伝えること―生命・非生命に関わらず伝えること,というのも,人類が選択しうる,ひとつの「道」としてありえるのかもしれません。
 そんなわくわくするようなことを想像させるこの作者は,やはり「SFの人」なのでしょう。

 このほか,単発エピソードとしては,「方向音痴」「もの真似名人」「純血」などが楽しめました。

99/08/21

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