石ノ森章太郎・村枝賢一『仮面ライダーSPIRITS』1巻 講談社 2001年

 「なあ・・・信じてみねえか。たとえ神も仏もいなかったとしても・・・仮面ライダーはいる・・・ってな」(本書「たった一人の戦場」より)

 邪悪と惨劇が世界の隅々まで覆いつくし,嘆きと哀しみ,慟哭と諦念が人々の間に満ちあふれるとき,ふたたび男たちは戦いはじめる。正義のために,未来のために,そして子どもたちの笑顔を守るために・・・男たちの名前は“仮面ライダー”!

 かつては一読者,一視聴者であった作家さんたちが,みずから「作り手」になったとき,思い入れのある作品にオマージュを込めて,その作品をリメイクするというのは,『ネオデビルマン』など,近年しばしば目につくようになりましたが,その中でも,石ノ森章太郎作品は,その頻度が高いようです。20年ぶりに『サイボーグ009』が,テレビアニメと復活したようですし(「天使編」を完成させるとのことですが,どうなるのでしょう?),『仮面ライダー』もまた,テレビで『仮面ライダークウガ』『仮面ライダーアギト』として,これまでのシリーズとは一味も二味も違う,新たな世界を構築しています。
 本作品もまた,仮面ライダー1号・2号・V3を主人公とし,元の設定をフォーマットとしながらも,オリジナル・ストーリィとして見事に復活させています。サッカーマンガ『おれたちのフィールド』で,迫力あるゲーム・シーンとともに,登場キャラクタたちの心の襞をナイーヴに描いてきた作家さんらしい仕上がりになっています。

 オープニング・エピソード「第一話 摩天楼の疾風(かぜ)」は「ライダー復活編」です。ニューヨークでつぎつぎと起こる奇怪な殺人事件。FBI捜査官滝和也は,事件の背後に「怪人」の存在を感じ取るが,もちろん警察に取り上げられるはずもなく・・・というお話。この中で,こんなセリフが出てきます。
 「無償で戦う仮面の戦士。そんな酔狂な男がいるものか」
 そう,この「無償性」こそが,「正義の味方」にとって重要な属性なのでしょう。「無償」であるがゆえに,さまざまな利害関係から超越でき,戦うことができるのです。そのため,複雑な利害関係の中でアップアップしている私たちにとって,「彼ら」は「夢のヒーロー」でありつづけるのかもしれません。また,本来「無償性」の象徴でもあったキリスト教会が,怪人の巣窟として使われているというのも,なんだか象徴的ですね。
 続く「第二・三話 たった一人の戦場」の舞台は東南アジア,内戦とテロリズムが渦巻くガモン共和国です。そこに一文字隼人,つまり仮面ライダー2号がいることを知った滝は,ガモンへと飛ぶ,しかしライダーは「悪魔(ディアブロ)」と呼ばれていた・・・という内容。「夢のヒーロー」もまた「時代」とは無縁ではありません。いやさ,「夢のヒーロー」とは「時代」を写し出す「鏡」なのでしょう。だから,民族紛争とテロリズムの解決が大きな課題のひとつとなっている現代において,そこを舞台に仮面ライダーが登場することが,それこそ「時代」なのかもしれません。また民族紛争・テロリズムの背後に「宗教」が大きく関連していること−人を救うはずの宗教が人を傷つける道具と化していることへの不信が,冒頭に引用したセリフに表されている点,「第一話」に通じるものがあるように思います(それにしても,隼人のファッション,テレビ版を踏襲してますね。これも「時代」かな?^^;;)。
 仮面ライダーV3を主人公とした「第四・五話 熱砂のプライド」は,一転「ヒーローの孤独と苦悩」に焦点が当てられています。仮面ライダーもまた,改造人間であるとはいえ,人間であるがゆえの孤独と苦悩を抱え込んでいます。「黒いピラミッド」に潜入,攻撃に傷ついたV3=風見志郎は,夢の中で殺された家族に再会します。そこで安寧を感じる風見は,しかし,自分の背後にV3の「影」が立っているのに気づきます。みずから望んで改造人間になったとはいえ,それゆえに生じる苦しみを,その安寧と対比させることで上手に描き出してます。また風見を捕らえた王妃がじつはロボットであり,さらにその「記憶」がインプットされたものであることを知った彼の怒りと哀しみは,彼が改造人間であることと響き合うものがあるのでしょう。さらにそのロボットである王妃が,最後に涙を流し,風見を助けたことは,彼が自分の改造された肉体に対して「俺のプライドだ」と言い切ることへと繋がっているのかもしれません。

01/11/22

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