冬目景『羊のうた』3巻 スコラ 1998年

 八重樫葉に,自分の業病を告白した一砂。そんな彼に,葉はみずからの指を傷つけ,「飲んで」と差し出す。その「血」を前にした一砂は,煩悶の末,気を失い倒れてしまう。そして彼がかつぎ込まれた病院に現れた千砂は,一砂の養父母である江田夫妻に,ふたりで暮らすと告げる・・・

 「他人の血を吸わないと生きることができない」という宿命を背負った者たちを主人公としたこの物語では,いうまでもなく「血」は重要な位置を占めています。「血」をめぐって,登場人物たちは,ときに対立し,ときに苦悩し,ときに癒しを得ます。
 前巻で一砂は,千砂に差し出された「血」をあきらあめたように飲むのに対して,葉からの「血」は(結果的に)拒絶します。その対応の違いは,1度目と2度目との差はあるでしょうが,一砂と千砂,一砂と葉,という「血」をめぐる関係の違いによるものも含んでいるように思います。一砂にとって,千砂の「血」はいわば「同族」の「血」であるのに対し,葉の「血」は「他者」の「血」です。葉の「血」を飲んでしまうことは,一砂にとって,自分が正真正銘の「吸血鬼」になってしまうことを意味するのではないかと思います。また彼は思います。
「八重樫が側にいるといつも発作が起きる」
と。一砂にとって「八重樫の血」とは,単に「生きるための糧」以上の意味が込められていることを示唆しているのではないでしょうか?

 そしてこの作品における「血」は,もうひとつの意味を持っています。それは「血縁関係」としての「血」です。主人公は,姉から「高城家の血」について告げられ,それが彼の生活を大きく変えます。それを契機として,養父母である江田夫妻に対する,長年蓄積されていた想いが彼の中で噴出します。江田家を出ていくとき,彼は養母に言います。
「おばさん達には本当に感謝してるよ。でも・・・でも他人なんだ」
 それは,自分の罹っている病気を隠すための言葉ではありますが,「半分 嘘で,半分 本当です」。養父母であるという遠慮,養ってもらっているという負い目・・・「高城家の血」という呪われた血のつながり,血縁関係が,「家族」とはなんなのか? ということを問いかけます。。

 さらにもうひとつ,「血」は「障壁」にもなります。いまだその内実は十分には描かれていませんが,千砂・一砂姉弟の父親・志砂と千砂との関係には,性的な匂いが含まれています。「わたしは母さんの身代わり」とつぶやく千砂。しかし,父親にとって娘が母親の代わりになるということは,比喩としては可能であっても,完全に代わりになろうとしたとき,つまり「妻」という性格を併せ持ったときには,そこに大きなブレーキ―インセスト・タブーが働きます。一砂は,千砂にとって「父親」の代わりだと言います。ならば,ふたりを結びつけるものである「血」は同時に,ふたりをある線以上近づくことを許さない「障壁」となります。「3年間しか一緒に暮らしたことのない姉弟」という設定も,そこに微妙な影を投げかけているのでしょう。

 この物語の中心的なモチーフである「血」,そこには二重三重のイメージが重ね合わされているように思います。そして「血」をめぐって照射されるさまざまな人間関係の軋みや歪み,その中で苦しむ主人公たち,彼らの行く末にはいったいなにが待ち受けているのでしょうか?

99/02/12

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