佐々木倫子『Heaven?』1巻 小学館 2000年

 そのレストランはどの駅からも遠かった。繁華街からも,住宅街からも,利益からも遠く・・・なにより「理想のサービス」から果てしなく遠かった・・・墓地の真ん中にあるそのレストランの名は「ロワン・ディシー(この世の果て)」・・・

 というわけで,佐々木倫子『おたんこナース』に続く新作の舞台は「フランス・レストラン」であります。掲載誌は『おたんこ』と同じ『ビッグコミック・スピリッツ』,この作家さん,もう青年誌オンリィになったのでしょうかね?

 ここ10年くらいのマンガの多様化は,じつに著しいものがありますが,その結果のひとつとして,さまざまな「業界」を舞台にした「業界マンガ」あるいは「情報マンガ」のようなものが,ジャンルの一角を形成するようになったと思います。石ノ森章太郎『HOTEL』などが,その代表的な作品と呼べるでしょう。
 この作者のこれまでの作品−獣医学部という,それまで学園ものでほとんど扱われることのなかった学部を舞台にした『動物のお医者さん』や(この作品以後は知りませんが,以前だと,たしか立原あゆみ『麦ちゃんのヰタ・セクスアリス』の主人公が獣医学部に入学したと思います。ほかにちょっと思いつきません),単にイメージではなく,入念な取材に基づき,リアルで,それでいてコミカルに看護婦の日常を描いた『おたんこナース』など−も,広い意味での「業界マンガ」という「括り」に入れることは可能でしょう(おそらく反論もあるでしょうが,もう少し,おつきあいください)。
 そういった「業界マンガ」のおもしろさ,というのはどこにあるのでしょうか? やはり「わたしの知らない世界」を知る楽しみが,そのひとつとしてあげられます。たとえば,大学の獣医学部(あるいは農学部獣医学科)は,大学生活を経験した人間であれば,その存在くらいは知っているでしょうし,誰でも病気になったり,健康診断のために病院へ行きます。また今回の舞台,フランス料理のレストランも(個人的にはさほど機会はないものの)けっして,「まったくの別世界」というわけではありません。しかし,その内実,その「世界」で繰り広げられる日常,そしてその日常を支える,じつに瑣末な,しかし重要な物事やルールというのは,ほとんど知りません。「業界マンガ」は,世間であまり知られていない,その業界特有の瑣末でかつ重要な物事やルールを,さまざまなストーリィの中に取り込んで,物語を作りだしていくとも言えます。
 けれども,このような傾向は,近年のミステリと同様,一種の「素材主義」に陥る危険性を秘めています。つまり,ストーリィ・テリングや物語作りよりも,どれだけ目新しい「素材」を使うかで,その作品の評価が左右されるという傾向です。実際,マンガの世界でも,具体例は挙げませんが,そんな「素材一辺倒」とも思えるような作品が見られるように思います。しかし,おそらくその中で,今後も読み継がれていくのは,新しい素材を取り込みながらも,それを物語として,表現として,オリジナリティあふれる作品へと昇華させることに成功した作品ではないかと想像します。

 さて,前に,この作家さんの作品を「業界マンガ」のひとつとして括ってしまいましたが,この作家さんは,そんな「素材主義」に陥ることなく,扱う素材を十二分に「自分の世界」に取り込み,まさに「佐々木倫子ワールド」としか呼びようのないユニークな作品へと再構築していく力量を持った方だと思います。
 たとえばそれは,キャラクタ造形に現れていて,お気楽でわがまま,「レストラン経営」の「いろは」も知らないキャラクタを,店のオーナーにすえ,さらに開店前の準備の様子からストーリィをはじめることで,フランス・レストランにまつわる,いろいろな道具や知識などを,ユーモラスに描き出していきます。また,電話予約のお客さんに対して,連絡先を聞いておく,という,それこそレストランにおける日常的なルールの大切さが,お客さんの死んだ息子の形見である傘の紛失というトラブルを招くという,絶妙なストーリィ展開の中で描かれます。もちろんそこには,この作者お得意の「ボケとツッコミ」パターンがしっかり踏襲されていて,笑いを誘います(「親の形見ならよかったのにねえ」「よくありませんよ」とか,「いいじゃない暗くて。大人の店になったわ」「ただのあばらやですよ」とか)。
 いずれにしろ,どのような素材を取り上げようと,自分の表現手法や物語作りの作法を自覚し,確立している作家さんだからこそ,できる「芸当」と言えましょう。これからの展開が楽しみです。

00/12/07

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