伊藤潤二『ギョ』2巻 小学館 2002年

 歩行魚のために世界はパニックに陥った! しかしそれだけではない。魚が腐ると“歩行器”は,動物を,そして人間をエネルギー源として,地上を闊歩し始める。腐敗臭に覆われた世界に明日はあるのか?

 この作者の作品の特徴のひとつとして,不条理とも言える奇想を日常の中に投げ込み,それを起点としてグロテスクに異形化していく“世界”を,その陰影深いタッチで描き出す点があります。
 本編でも,「魚が地上を歩く」という奇想,それも「生物+機械」というミスマッチな奇想をスタート地点として,そこから起こるさまざまな怪奇な状況を描き出しています。魚から動物,そして人間へと,“歩行器”が,その「乗せるもの」を変えていくのは,その起点からの展開としては,ごく「自然」であり,いわば転がりだした小さな雪玉が,しだいしだいに大きくなっていくのと同じことでしょう。SF作品などでしばしば見られる「エスカレート手法」とも言えます。
 しかし,魚の場合であればどこかコミカルな感じのあったそれは,人間を乗せることで,まったき「異形」「モンスタ」へと変貌します。ぶよぶよと膨れた姿態−それはどこか水死体を連想させます−,肌の表面に散らばる疣,白濁化した瞳,その身体に食い込む“歩行器”の鋭い爪,口と肛門に押し込まれた太いホース…人間を単なるエネルギー源として「物化」しながらも,人間としての「醜さ」をそのままとどめた「それ」は,人間にとって「外敵」であった“歩行魚”よりも,格段のおぞましさがあります。
 本集には,そんな“歩行人”(?)を使ったサーカスが登場します。サーカスが,人間の「物化」された「肉体」−ときに綱渡りや空中ブランコなどに見られるすばらしい肉体を,ときにフリークスやピエロに見られる異形な肉体−を「売り」にすることを考えれば,“歩行人”とサーカスとの結びつきもまた,けっして不自然ではないでしょう。上に書いたような「雪玉」のひとつの帰着点とも言えます。
 同時に,その「雪玉」は,さらなる展開の予兆を見せます。海からあがった“歩行器”は,地上の動物を蹂躙し,さらにマッドサイエンティスト小柳の身体を使って,空へと飛び立ちます。海から陸,そして空へという広がりは,“歩行器”が,地球上の生命と同様,ある種の「進化」の道をたどっていることを類推させます。地球上の生命が,他の生命を糧として「進化」してきたのと同様に,“歩行器”もまた他の生命−魚や人間−をエネルギー源として「進化」する「別の系統樹」を歩んでいるようにさえ見えます。この,“歩行器”と人間,いやさ地球上の生命との根元的な異質性は,“歩行器”が,人間意外のもの手によって作られた可能性が匂わされることとも響きあいます。

 しかし,物語は,ふくれあがった「雪玉」は,唐突に幕が引かれてしまいます。正直「え? これでおしまい?」という印象がぬぐい切れません。たしかに,この作者のこれまでの短編には,異形化した世界の中に主人公を−つまりは読者を−置き去りにして,エンディングを迎えるタイプのものがしばしば見られます。主人公が,「物語の後」に遭遇するであろう恐怖を,読者にゆだねるという,ホラー作品では常套的な手法です。しかしそれは,限られたページ数の中で,より恐怖感を効果的に高める,短編だからこそ活きてくる手法ではないでしょうか?
 この作者のはじめての長編『うずまき』において垣間見られた新しい方向性−「ストーリィ性」−は,この作品においては見られないように思います。つまり短編の手法で長編を描いた,といった感じでしょうか。それゆえに,作者の奇想とそのグロテスクな展開というフォーマットが十分に発揮されながらも,長いお話としては,やや不完全燃焼のような手触りが感じられます。

 ところで本集には,本編以外に2編の短編が収録されています。「大黒柱秘話」は,家のローンで押しつぶされる「日本のおとーさん」をカリカチュアしたようなコメディ・ホラーです。もう1編「阿彌殻断層の怪」は,とある山中の断層で発見された「人型」をした奇妙な「穴」をめぐる綺譚です。じつを言うと,本編よりもこの「阿彌殻」の方が楽しめたんですよね^^;; 意味不明な「穴」,それが持つ麻薬のような吸引力,「穴」の中に閉じこめられる恐怖感(「生きながらの埋葬」を連想させます),そこから生じるグロテスクな肉体の変貌などなど,「不条理」の設定の中での「理」的な展開という,この作者の持ち味が,よく出ている作品ですね。やっぱりこの作者,短編に力を入れてほしいな,というのが,わたしの希望です。

02/06/18

go back to "Comic's Room"