伊藤潤二『ギョ』1巻 小学館 2002年

 沖縄を訪れたカップル忠と華織。彼らがそこで遭遇したのは,腐臭を発しながら地上を歩行する“魚”だった。しかしそれは単なる前兆に過ぎなかった。“歩行魚”は日本各地に上陸,人々の間にパニックを引き起こす。そして“歩行魚”出現の背後には恐るべき秘密が……

 本書を書店で見つけたとき,ふたつのことを連想しました。
 ひとつは,はるか昔,一世を風靡したあのねのねのナンセンス・ギャグ−「魚屋の,おっさんが,驚いた」「ギョ!」です(笑)
 もうひとつは,こちらもやはりずいぶん昔の楳図かずおのマンガ「怪獣ギョー」です。少年の助けを求める声に応じて,足を持った巨大魚がやってくるというお話。本編での“歩行魚”と造形的に近いことから,作者はこの「ギョー」からインスピレーションを得たのかもしれません。

 さて一読して感じたことは,「洗練されたなぁ」という印象です。とくにコマ割りと,各コマでのアングルが,これまでの作品に比べると,ずっと安定しているように思います。もちろんそれは,作者自身の技量と密接に関係することではありますが,もうひとつ,ページ数のことも絡んでいるように思えます。
 つまり,今まで人気があったとはいえ,どこかマニアックな,カルト的な支持が強かったこの作者,『うずまき』でメジャー雑誌に登場,新たな読者層を獲得,雑誌内での待遇がより良くなった結果,かつてよりも十分なページ数を与えられるようになったからではないでしょうか?(1回の連載分のページ数というより,全体的なページ数ですが)。それゆえ物語の展開に余裕を持つことができ,一コマに十分なヴォリュームをあてることができたのではないでしょうか?
 こういった「変化」は,デビュウ後,人気の出た作家さんにはしばしば見られることではありますが,この作家さんの場合,やや不安がないわけではありません。というのも,この作家さんをデビュウの頃から愛読していたファンからすると,この作者の魅力のひとつに絵柄の「猥雑さ」「不安定さ」があったように思えるからです。それがあまりに洗練されすぎると,今度はもともとあった魅力が減じることになりかねません。単なるマニアの杞憂であればいいのですが…(..ゞ

 本編のメインとなる存在は“歩行魚”です。足を持った魚というのは,それだけで異形性は十分ですが,この作者は,その足に動物的な足ではなく,昆虫にも似た,突き刺すような鋭い足を持たせます。このミスマッチが異形性をさらに高めているでしょう(「ゴトゴトゴトゴト」とか「ガシャンガシャン」という足音が効果的ですね)。
 そしてもうひとつのこの作者の魅力‐「奇想」は,この“歩行魚”の由来を説明する際に発揮されています。つまり“歩行魚”の「足」とは,戦時中に兵器として開発されたものだったのです。ここに来て,「魚+足」というミスマッチにさらに「機械」が加わることで,ますます異形性が増幅していきます。
 しかしそれだけではありません。この「機械」との結びつきは,異形をつぎのステップへと導いていきます。それは作中に現れる科学者(どこかマッド・サイエンティストの風貌がある)小柳の腕への「寄生」に現れています。つまり「機械足」が取り付くのは魚だけ,海の生物だけではないことを意味しています。このことは物語がさらなるグロテスク化していく可能性を暗示してます。
 一方,主人公の恋人華織もまた,「歩行魚」が吐き出す細菌(?)によって異形と化していきます。前半での病的なくらい清潔好きで高慢な彼女と,醜く変貌した姿とのコントラストは,ちょうど富江−美貌と醜悪さを併せ持った少女−に代表されるように,この作者の得意とする手法のひとつなのでしょう。
 このふたつの「異形化」の流れが合流するとき,物語はどのような変貌を遂げるのか? 楽しみです。

02/04/17

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