岡崎二郎『アフター0(ゼロ) 著者再編集版』3・4集 小学館 2002年

 新編集による3・4集は,本作品中の最長のシリーズもの「大いなる眠り子」を中心にまとめられています。

 死んだ父親の魂が,生まれたばかりの息子の身体に入ってしまい,“スーパー赤ちゃん”となったあきお(<父親と同名)と,その母にして妻由美子を主人公としたシリーズです。ミステリ・タッチあり,ファンタジィ・テイストあり,親子の愛情ものあり,と,この作品の特徴であるヴァラエティに富んだ内容ですが,本シリーズの場合,「幼児であって幼児でない」「大人の心と表現力を持った幼児」というシチュエーションを活かしたエピソードが多いのは,当然でしょう。でもって,そのタイプのエピソードが個人的には好きです。

 たとえば「オムツ戦争」は,将来の生活費・学費を稼ぐために「赤ちゃんタレント」になったあきお,いまひとつ売り上げが伸びないオムツ会社のCMを依頼されるが…というお話。「赤ちゃんタレント」という着眼点がまず巧いですよね。周りのことなど眼中にない赤ん坊を「役者」として使おうとすれば,とんでもなく大変だということは,本エピソードの前半に描かれているように,容易に想像のつくところです。で,そんな中であきおが「売れっ子」になるという展開も,じつに自然です。さらにオムツをめぐるあきおの評価も,もし赤ちゃんが喋れたら,こんなこと言うだろうなと思わせます。
 「なぜ,久留米氏は…」は,グルメの久留米氏が「世界最高の味」を求めるという内容。まだ脳のシナプスが「整理」されていないため,大人以上にさまざまな「味覚」を感じ取ることができ,さらにそれを表現できるあきおだからこそ,その久留米氏の求めに応じられるわけです。で,そのあきおの「答え」がじつにふるっています。おまけに「なるほど,そうかもしれない」と納得できてしまいます。ところで余談になりますが,「天才」と呼ばれる人の脳は,このシナプスが「整理」されずに,幼児のままの状態を保っている場合が多いという話を読んだことがあります。
 同じように「子どもだけが感じ取れる」というシチュエーションを用いて,よりファンタジックに仕立てたのが「妖精伝説」です。あきおの前に突然現れた「へんなもの」,それはどうやら子どもだけが見ることのできる妖精らしい…というストーリィ。日本風に言えば「座敷童子」といったところです。この作品の最初のエピソード「小さく美しい神」も,会社にいつく座敷童子のお話ですし,この作者,こういったネタがお好きなようですね(3巻所収の単行本未収録作品「不思議なじいさま」も,座敷童子というわけではありませんが,似たようなテイストを持っています)。ビールを飲んでいる,まん丸太った鳥(?)の妖精が,わたしは好きです。

 このほかで好きなエピソードというと「H氏最後の挨拶」。父親不在中に,あきおの身体に入り込んだ魂は,なんと葛飾北斎だったというお話です。生前,予告しながら描けなかった「画本彩色通・続編」を仕上げようとする北斎ですが,展示されている自分の絵に「加筆」してしまったり,現代美術の展覧会を見て落ち込んだり,そんな北斎を由美子が叱ったり,と楽しいエピソードです。「現代の紙に描かれた北斎の絵」という結末も,苦笑させられつつも,余韻があっていいですね。
 「小さな勇者たち」は,あきおたち,赤ちゃんタレントを乗せたバスが,逃走中の凶悪犯に乗っ取られ…というサスペンス・タッチの作品です。身も蓋もありませんが,「赤ん坊の笑顔がかわいいのは,大人に殺されないためだ」なんて言い方がありますように,「赤ちゃんの笑顔」というのは,無敵なのかもしれません。オーソドクスな展開ながら,ここでも「大人の心を持った赤ちゃん」という主人公の設定が活かされたラストは,「ほっ」とさせられますね。
 それと笑えるのが,ショートショート風の「女優」です。あきおを目の敵にする,同じ赤ちゃんタレントのマミ。その負けず嫌いの徹底ぶりに,“スーパー赤ちゃん”あきおも思わず脱帽してしまうところがいいですね。タイトルを読み返して苦笑しちゃいます。

 それと本シリーズで忘れてならないのが,由美子のキャラでしょう。たしかに主人公はあきおですが,彼女の庇護がなければ,彼はその“スーパー”ぶりを発揮できませんし,なんといっても,どこかとぼけた性格が,ほのぼのとしたユーモアをストーリィに与えています。ふたつめのエピソード「遠い歌声」で,みずからトラブルに首を突っ込む「軽さ」とか,「長寿の重さ」で,長命族・龍男の執事に対してのぼけた質問など,思わず「くすり」と笑ってしまう箇所が随所に見られます。

 なお本シリーズの最後のエピソード「最後の眠り子」については,オリジナル版6巻の感想文でも触れています。

02/09/10

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