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1月1日 天気 晴れ 気温 起床時間 A.M.10:30 就寝時間
今日から日記をつけることにしました。とは言っても,私の周りで起こった事を,いちいち書き留めるつもりはありません。ちょうど1年前にも日記を書き始めたのですが,その時,思った事は,日々の生活というものは結構単調なもので,同じパターンの繰り返しだという事です。毎日,違う内容の日記をつけているつもりでも,結局はある周期で同じ内容を書いているのです。だから,あまり書く意味はないなと思ったのです。
そんな訳で,昨年の日記は,毎日つけたのは最初の3ヶ月ちょっとで,その後は数日に1回。年の暮れの頃には,何か特別な日以外はほとんどつけた記憶がないというサンタンたる結果でした。
だから今年は,少し内容を変えようと思います。
日々の生活の中で見過ごしてしまいそうなささいな事。でも大切に思える事を忘れないように書き留めたい。
また,いつも疑問に思ったり,自分の中で謎としてくすぶっている事。それらを書く事によって明確にし,解明していきたい。
そして,これは,ちょっと遊びなのですが,「夢」です。夜中に寝ている間に見た夢を忘れないように書き留めるのです。なぜ,こんな変な事をするのかというと,夢を思い出す訓練をすると頭が良くなるらしいからです。夢は弱い記憶であるためにすぐに忘れてしまう。これを忘れないように訓練することで,脳の神経が緻密になり,頭の回転が速くなるのだそうです。一説には,本を読むスピードが10倍にもなるらしい。また,訓練を続けるうちに,夢の中で自分の思いどおりの展開を組み立てる事が出来るようになるらしい。それもまた楽しみでもあります。
今日は元旦です。初夢とは,”元旦の日の夜明けに見るもの”,”2日の日の夜明けに見るもの”と諸説があるようですが,昨夜は結局,夢を見た記憶がないので,今夜にキタイして寝ることにします。おやすみなさい。
追伸 私の日記帳へ
あなたに名前をつけるのは,やはり恥ずかしいのでやめておきます。
わたしはアンネではない。
1月2日 天気 雲 気温 起床時間 P.M.1:00 就寝時間
昨夜は,結局,日記を書き終えてから,すぐには寝つけず,明け方までTVを見てしまいました。所ジョージと鶴瓶が司会をする新春バラエティー番組を見てしまい,そのうちに映画”恋に落ちたシェイクスピア”が始まりました。この映画は,題名からして,たいくつそうな文芸作品だろうとタカをくくり,何となくチャンネルを合わせたのですが,予想に反して面白く,最後まで観てしまいました。
それで今日は昼過ぎに起きたのですが...。どうにも寝起きが悪く,憂鬱なのです。何かの夢を見たという感覚が残っています。不吉な予感にかられながら,夢を思い出そうと努力しました。
牛が居ました...そして,誰かに怒鳴られた記憶があります。それをヒントに記憶の糸をたどると...。
私は牛小屋で牛の世話をしています。牛は汚物で汚れていて”嫌だな”と思いました。私がタワシで牛の体を洗っていると,ひとりの男が小屋の前に立って怒鳴っています。
「牛を殺せ!病気を移されたら困る。お前がやらないのなら俺がやる。」
そう言ってショットガンを討ち始めます。
私はいつの間にか牛になっていて,他の牛たちと一緒に小屋の外に逃げだすのです。
初めて日記につける夢がこんな夢だなんて!しかも初夢です。
私はムシャクシャして夢を見なかった事にしようと思いましたが,やはりそれはいけない。正直に書くことにしたのでした。
気分を変えて...
日頃から疑問に思っていることを書こうと思います。
それは”音楽”です。
私たちは,なぜ音楽を聴いて楽しい気分になったり,悲しい気分になったりするのでしょうか?
「ド.レ.ミ」と聴くと何とも感じなかったのが,「シ.レ.ソ」と聴くと急に悲しくなる。なぜなのでしょうか?
だいぶ書いてしまったので,続きは今度にします。
おやすみなさい。
...ここまで読んで,ぼくは顔を上げた。眼下の景色のいたる所を雲の影が移動している。ぼくの気持ちは少し落ち着いてきた。
しかし,岬玲子という人はおかしな人だ。
夢を日記につけると本当に頭が良くなるんだろうか?試してみたい気もするが,人に言ったら馬鹿にされそうだ。こっそりやるのは,もっと後ろめたい。第一,日記をつけていることが友達にバレたら馬鹿にされるどころではないだろう。
日頃から思っている疑問というのがまた,おかしい。
音楽を聴いて楽しくなったり悲しくなったりするのは当然じゃないか。それが目的で聴くんだ。音楽の授業で習ったけど,楽しくなる旋律は長調。悲しくなる旋律は短調というのだ。そんな事も知らないんだろうか?
ついでに言うと,天気のところに「曇り」と書かずに,間違えて「雲」と書いているところも笑える。また,所々がカタカナになっているのは漢字が書けなかったからだろうか? ぼくが彼女に対して勝手に描いていたイメージとは,かなり違ってきた。カッコいい颯爽とした女性を想像していたのに...。
もっと,笑える場面が出てくるかもしれない。もう少し読んでみよう。
1月3日 天気 雲さらに雲 気温 起床時間 A.M.11:30 就寝時間
昨夜もまた夜中までTVを観てしまいました。
夢は残念ながら思い出すことができません。
昨夜の疑問のつづき...
音楽には,長調と短調というものがあります。長調を聴くと楽しい気分になり,短調を聴くと悲しい気分になります。
こういう感情は,太古から長い年月をかけて,私に受け継がれてきたものだと思います。私の遠い祖先の仲間たち(それは人間以前の頃かもしれませんが...)の中には,どしゃぶりの雨を見て,心が躍る者が居たかもしれません。しかし,雨が好きで増水した河原で遊んでいた者たちよりも,雨を恐れ,高台の洞窟に隠れて居た者たちの方が生き残る確率は高かったはずです。ドーモーな捕食者を恐れない者たちよりも,恐ろしいと感じて逃げ隠れた者たちの方が生き残る確率が高かったはずです。そうやって,年月の経つ内に,生き残る確率の低かった者たちは自然と淘汰されてゆき,今,生きる私たちの様に,雨の日よりも晴れの日を好ましく感じる者が生き残っているのだと思います。
しかし,こう書いてしまうと,「俺は雨の日の方が好きだ!」という人が出てくるかもしれません。しかし,そう感じるのは,安全で快適な家の中から雨を眺めているからだと思います。私も家の中で聴く雨音の調べは好きです。
この様に私たちの”好き嫌い”や”感情の起伏”には,何か原因があっての事だと思います。
なぜ,ケガをすると痛いのか?
なぜ,熟する前の果実はマズイのか?
なぜ,スパゲティーのミートソースをおいしいと感じるのか?
これらも,少し考えを巡らせれば答えが見つかりそうな気がします。
それでは,
なぜ,花を美しいと思うのか?
なぜ,異性の顔に”好ましいもの”と”好ましくないもの”があるのか?
なぜ,音楽の調べに心を動かされるのか?
答えが出るかは解らないのですが,この日記帳を通して考えていこうと思います。
少し長くなりました。今夜はすぐに寝ようと思います。
おやすみなさい。
つづく