空は赤かった。ぼくは自転車を漕ぎ続ける。夕暮れ時、雨は少しづつ強まっている。空は雲で覆われている。雲は背後から夕暮れの太陽に照らされ、空は赤かった。街灯に火が灯っている。国道を行く車がライトを点け始めている。雨は少しづつ強まっている。ぼくは思った。家に帰り着くまでに制服はビショ濡れになってしまうだろう。家に着くなり、母さんが嘆き怒り出すだろう。小言は今夜寝るまで続き、夜明けとともにまた始まるだろう。これ以上濡れる前に、どこかで雨宿りをするのが賢明だ。ぼくは、小さな本屋の前に自転車を留め、入口で雨を避けながら空を見上げた。空は赤紫になっていた。同じ赤紫でも、明るい色の場所と暗い色の場所があり、斑模様の渦巻きがたくさん出来ていた。雨が止みそうな気がしなかった。国道を挟んだ向こう側にラーメンのチェーン店がある。とんがり帽子の屋根のネオンが空に映えていた。本屋の中を覗くと、カウンターに太っちょのオヤジが座っているのが見える。客は1人もいない。商売が成り立っているのだろうか?以前、この本屋で立ち読みをしたら、「本に折り目がつくから、買わないのなら出て行け!」と言って怒られたことがある。店の中を 覗き続けていると、オヤジがウットウシそうな眼差しをこちらに向けたので、僕は慌てて視線をそらした。そらした先には緑色の公衆電話があった。みなさんは、こんな噂を聞いたことがないだろうか? <<鹿児島県の公衆電話の中で、コイン投入口にお金を入れようとすると、それを拒むかのように、勢いよく風が吹き出てくるものがある。>>  なんとなくその噂を思い出した。 <<運良くその電話にめぐり逢った者は....>>  <<不幸にもその電話にめぐり逢った者は....>>  噂は幾パターンかある。後の方に述べた噂はともかく、コイン投入口から風が吹き出てくるのかどうか確かめてみたくなった。電話に近づき受話器を取った。ポケットには100円玉しかなく、それをコイン投入口に近づけた。。。。。。何も起こらなかった。仕方なくそれを投入口に入れてみた。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。何も起こらなかった。
 ひとりの世界で一喜一憂していることに気づいたぼくは、慌てて受話器を降ろした。店のオヤジが一部始終を見ていなかったか気になり、横目で店の中を見た。オヤジは下を向いて座っていた。ホッとして電話に視線を戻した。電話機の横に何かの本がある。分厚いが電話帳ではない。新書版の小説のようだ。本屋の店頭に1冊1800円で並べられているようなやつだ。ぼくは、そのハードカバーの本を手に取った。瞬間、空を稲妻が走った。もの凄い音が辺りを走った。空を見上げると、とんがり帽子のネオンの上のあたりを流れ星が通り、消えた。空は雲だらけで☆なんて1個も見えないのに???
 空は、かなり暗くなっていた。東の空はもう真っ黒だ。西の空は、まだ若干、青を残している。黒に近い藍が鈍く光沢を放っている感じだ。雨が街灯に照らされ、輝きながら落ちてくる。光の粒が舞い降りてくるようだ。風に揺られながら...。
 手に取った本に注意を向けた。クリーム色のハードカバー。表紙には、大きくクッキリとした金色の筆記体で「Diary!」と印刷されていた。光のしぶきで濡れないように、ぼくは少し身をかがめ、その分厚い本をパラパラとめくってみた。ペンシルで書かれた文字が並んでいる。これは日記帳だったのだ。
 日記帳は、ページごとに月日があらかじめ印刷されており、ページは1月1日に始まり12月31日に終わり、それぞれ、その日の天気や気温、起床時間、就寝時間などを書き込めるようにデザインされている。日記の内容はというと、綺麗な文字でビッシリと書き詰められたページもあれば、絵を描くような文字でテキトーに書き殴られてるページもある。実際に絵のようなものが描かれたページもあった。ときたま、印刷のデザインを除けば白紙のページもあった。
 この日記帳の持ち主は、よほど大切にしていたのではないだろうか。今日は6月15日、日記は6月14日で終わっている。
(持ち主に返してあげたい。)
 日記帳の一番最後のページを開けると、こう書かれてあった。

    菜原市つつじヶ丘二丁目5−2
              岬玲子

確か、この近辺だ。だが直接届けに行くのは、いかにも素晴らしい行為をしているかの様で恥ずかしい。第一、家を探すのが面倒だ。だから、郵便局で小包にして出そう。今日はもう郵便局は閉まっているから明日出しに行こう。
 何か浮き立つものがあった。心が晴れやかなのを感じた。人知れず良い行いをする。無償の行為とはこうゆうものなのだ。ぼくは一人で盛り上がっていた。
 雨は止んでいた。家に帰らねば。ぼくは自転車に乗り、黒い西の空の方向へ走らせた。雨に濡れた国道は、街灯と車のライトを反射して瞬いていた。

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