その20


流鏑馬 (yabusame) 大汝牟遅神社 おおなむちじんしゃやぶさめ 
吹上町
県指定無形民俗文化財

鹿児島県には、有名な流鏑馬が3つある。そのひとつ、吹上町の流鏑馬は
宮内地区の大汝牟遅神社横馬場参道で、2名の射手によって行われます。
伊作島津家10代忠良「日新公」が加世田城攻略の時、これが叶えられたら
毎年の流鏑馬の奉納を約束祈願し、天文7年「1538年」城攻めに勝利した。
それから、毎年11月25日「近年は11月23日」に、奉納されるようになった。
射手は宮下家・宮内家、両家の世襲制が近年は流鏑馬保存会が結成され、
地域の人々によって伝承されている。2射手により交互に3回づつ的を射る。


 

大汝牟遅神社
日置郡吹上町、この地にニニギノミコトが、暫く宮居されたと伝説があり、ここに大汝牟遅神社が創建されたと言う。
時代不詳だが、阿多隼人と呼ばれるご先祖が朝廷の舎人として、大汝牟遅命と玉依姫命を勧請して、この地方の未来永劫の繁栄と安泰を願って、創建。(千本楠等の始まり神話)
また、文治二年「1186年」初代島津忠久は源頼朝の鎌倉幕府の威厳を示す為に、鶴岡八幡宮から、清和源氏の氏神である八幡大神の応神・仲哀・仁徳天皇及び神功皇后のご神霊を遷し合奉。
その後伊作島津家の宗社として、手厚いご加護が続く。明治以前までは大汝牟遅八幡神と呼称。
流鏑馬用道路
地域の景観保全を考えて作ってある道路。流鏑馬のロープが張れる様、ポール立ての穴が空いている。
御神木の大楠
社殿右側にある大楠は、御神木のひとつ。三度撫ぜて願い事を念じる。
大汝牟遅神社境内
当日は、武道大会も催され、神社境内では、小学生などの剣道大会もあった。小さな少年・少女剣士が、黄色い声を張り上げていた。


流鏑馬の歴史は平安から鎌倉時代にかけて各地で盛んに行われた。吹上の流鏑馬が記録されているのは、
天文7年の加世田城攻略から。この時は氏神・小牧の諏訪神社。約100年後に大汝牟遅神社に移して開催。
昔は、篭り所をもうけ、7日間籠り、未明には吹上浜で身を清め、精進を続けていた。現在は当日早朝塩浜入り。

おみこしも神社に 「あげ馬」儀式。祝詞と九字を切る 巫女さんも出て・・
馬駆け 馬が駆ける前に1人の別当が駆け足で道を祓う 直線200m、その間に40m間隔の的。平木板六枚の組み合せの的



  矢が的に当った瞬間  全速力なので、未だ、矢がつがえず・・


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