トカラ列島の平家落人集落 
現代でも秘境と呼ばれている島々。薩摩半島南端から南に約60キロmにある三島「黒島・硫黄島・竹島」。その先に、屋久島・口永良部島。そのまた先の口之島から奄美大島までの間に繋がる有人7島・無人5島からなる島々がトカラ列島です。これらの島には、ほとんどの島に平家落人が住んだという伝説があります。


南の島々・トカラ列島
口之島 肥後姓
口之島の伝説は、タモトユリ(袂百合)。平家の落人が白い香り高い百合をたもとに忍ばせて持ってきたとの言い伝えがあります。鹿児島県の天年記念物に指定されています。島の西側断崖に群落して花を咲かせます。
平清盛の兄弟の頼盛の子・仲盛と光盛の墓と言われる塚が、この口之島にあります。
また、清盛の子・基盛その子行盛「正五位下左馬頭」その子政盛の子孫が肥後姓を名乗り、口之島の住人の一番多い姓となっています。
肥後氏の邸は殿地(とんち)と呼ばれていて、これは余程の、位の高かったことを想像させられます。

中之島 日高姓
島には強烈なブト「ブヨ」がいて、食われると腫れあがってしまう。島に命からがら上陸しようとした平家残党を、島の住民が食料を食い荒らされると思い、突き殺した。その亡霊がブトになったという伝説があります。
中之島は清盛の子重盛、その子有盛「従四位下左少将」の子孫が日高姓を名乗り、郡司の家系が続いていました。古来から殿地(とんち)と呼ばれ、分家の日高常次郎家は下殿地(したんとんち)と呼ばれていました。中之島の日高家の紋は亀甲一引六花弁
※三島「硫黄島・竹島・黒島」の日高家の紋は丸の内違い鷹羽

平 島 日高姓
平家落人が列島で最初に流れついた島と言い伝えられています。島の東側の崖下に大きな洞窟があり、平家の穴と呼ばれています。北西の風に乗ってやって来ると言われる源氏の追討を監視するために、掘ったと言われます。
集落の中心に島立神社とガジュマルの大木があり、島民はお盆にこの木の下で古式豊かな盆踊りの奉納をします。また、中世から続いている元服の儀式が、今も昔のままで行われています。
平有盛の子盛時の子孫が、日高姓を名乗り、殿地と呼ばれていました。

口之島・どの島も回りは浸食されて 中之島・高い山は雲の中、数百mの標高 平島・操舵室から見る

悪石島 有川姓
源氏の追討を防御するために、島におどろおどろしい悪石という恐ろしい名前を付けたと言われています。港以外の場所は断崖絶壁で、海からすぐ高い山が浮かび上がったような地形ですが、トカラのどこの島でも同じ様な、中腹などになだらかな場所があって、集落や緑豊かな牧歌的な牧場などが見られます。集落内の各所には神々が祭られ、神山として聖地の扱いをしています。神の降り立つ島として、お盆に現れるボゼ神は有名な伝統行事になっています。
有川姓は、三島の硫黄島に安徳帝が居られる時に、平家の一員として悪石島から、粟・米などを奉納したと記録されています。

小宝島 岩下姓
小宝島は、北のこれまでの島と違い、珊瑚隆起の島で、悪石島との間の地底構造線で、植物植生や海の様子もガラリと変化する場所だそうです。一番高い山でも103m、30分も歩くと1周出きるそんな小さな島にも係わらず、平家伝説も子孫に伝わっています。
島の岩下さんに尋ねたら、若い人は興味もないけど年寄りはそんな話をしているとのことでした。
鹿児島内地・垂水、浦内川にも平家伝説地があり、そこで古くからの岩下観音を祭っている岩下家があります。

宝 島 平田姓
トカラ有人最南端の島で、小宝島と同じく珊瑚隆起の島です。トカラの語源とか、宝が埋まっているとか、海賊伝説まであります。イマキラ岳麓の鍾乳洞はキャプテンキッドが金銀財宝を隠したとか、「海賊の住み処に相応しい地下宮殿がある」と島の古い記録にもかかれているそうです。集落の裏のトカラ観音を奉る観音洞があり、水田も点在し、熱帯の植物とあいまって東南アジア的な様相があります。
宝島で一番多い姓、平田姓は重盛の子惟盛・その子資宗・その子宗衝が平田の祖として名乗ったもの。代々宝島の郡司となり、島津の琉球使節の海路案内役なども勤めた。資宗の次男宗行は、七島落ちの折りに立ち寄った坊津に移り住んだ。宝島の平田氏直系も殿地と呼ばれていた。

悪石島・島の回り浸食岩 小宝島・隆起珊瑚礁、だが、温泉もある 宝島・港のペイントアート

ほかにも、平家の穴とか、平家城と呼ばれる、源氏の追討を見張る場所と言われるところが各島に残されています。
現在無人島でも、平家の伝説が残っているところもあります。臥蛇島に平家一族の古墓群があったとか・
また、これより南の島にも、平家伝説が残っているので、機会をみて訪ねてみたい。奄美大島には平資盛神社や平行盛神社・源為朝伝説も。
「安徳帝」 「俊寛」の硫黄島のページ参照


南島の平家一族の略系図

トカラ列島は、小さな島が多いけれど、島の回りは断崖絶壁浸食岩などで、とても人の住める場所には見えないけれど、
島の中腹あたりには、なだらかな牧歌的な場所もあり、トカラ馬やトカラヤギが草を食んでいたりします。有人のどの島も、
複数の温泉が涌き出ていて、自然の恵みを楽しめます。また、魚釣りは黒潮真っ只中のとても優れた漁場で、ちょろっと
ルアー竿を出して、十数匹の中・大物の魚が入れ食いで釣れました。豊饒の海を実感しました。しかし、この自然と出会うには
週2便の村営フェリーで、近い口之島で6時間、宝島までは13時間もかけなくてはなりません。自然や人情が流失せず残って
いるのは、このように、秘境と呼ばれるほどの閉鎖性があったからです。現代まで自然環境、古い歴史や文化が残っているのも
当たり前のことです。


悪石島の露天温泉

こんなGTがあっという間に
山の中腹辺りになだらかな傾斜。牛や馬ヤギが放牧も


トカラ・悪石島の盆踊りと仮面神ボゼ祭り    悪石島の温泉 砂蒸・海中・露天